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【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。

神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程をすべて話せ」そう言われた。「マジで言ってんのこのクソ警察!?」そう思ったのはよく覚えている。警察がワープロで書いた調書を印刷し渡してきた。「調書のタイトル書け!」そう言われても何書けばいいんだろうと思っていたら。「ぼくのやったこと」と書けと指示され書類を提出。両親が迎えにきてその日は終わった。

なぜ愚れたのか?

小学生の時までは真面目な子供だったがあまり友達ができなかった。家に帰っても両親の仲が微妙で家にも外にも自分の居場所がなかった。

母は「良い高校行っていい大学に行っていい就職してね!」と言うタイプの人。父は売れない外資系生命保険の営業マン。

売上がない月は会社から借りて生活していたそうで自分が電気をつけっぱなしにして外出すると母にものすごく怒られた。赤い数字で埋め尽くされている父親の通帳を見せつけられ借金とは何か知った。

中学に入るとやんちゃな行動をするヤツに一目置くという不思議な価値観が現れ不良な行為をすることで友達ができた。子供の頃の寂しさを中学で知り合う友達で補いそこが自分の居場所になっていった。

どんなレベルの不良だったのか?

ワルだったと言っても中途半端な中坊で最も目立つヤンキーの横でイキがる程度のガキだった。

川崎市の公立中学に進学したのだが、各学年に不良グループいて周辺地域ではちょっとしたワル名門校だった。彼らの共通点は「家庭に問題がある」ことと「武勇伝を持つことに美徳を感じる」ことだった。

その為、学校内で目立つために見えるところでわざとタバコをすったり髪を染めたり校則を違反する。そういう事をするルールを破る度胸があるヤツ達が集まり社会から阻害されるがその代わり内輪の絆が深まり友達ができる。

一度グループか確立すると排他的になり隣の中学を潰しに行ったり強い中学と連合を組んで横浜の中学を潰しにケンカ遠征に行ったりしていた。

勉強はまったくせずに朝まで遊んで昼過ぎに学校で友達と待ち合わせして遊びに行くような生活をしていたら中学を卒業するときにはこんな感じに仕上がっていた。

高校を卒業する

中学で既に愚れていたので勉強にはまったく興味なかった。その為川崎市で偏差値30レベルの日本国内最下層の高校へ進学した。

毎年川崎市の色んな中学から不良学生が入学してくるので至る所にタバコの吸殻が落ちていた。異常な勢いでゲラゲラ笑ってる2年や3年の先輩はマリファナでHighになっていた。

女子は魂が抜けたような顔で登校し、一日中廊下でくっちゃべりながら化粧をしアイロンで髪をクルクルにして完璧な状態で下校しどこかへ遊びに行く。

幸い自分の中学出身のド不良の先輩がその高校をシメていたので他の不良の先輩といい距離感を保ってある程度平和に高校生活を過ごすことができた。

そんな環境でも自分が高校を中退せず卒業できたのはたまたま地元の友人達が「高校くらいは卒業したいよね〜」と話していたのでなんとなく卒業だけはしておこうと思い卒業した。

とび職になる

高校卒業間際に担任に「お前進路どうするんだ?」と聞かれた。未定だと答えると「はやく決めろ」と言われたのでとび職をやっている先輩にその場で電話し「そろそろ高校卒業するんで仕事ありますか?」と聞いたら「明日から来い」と言われその場で就職が決まった。

将来の事なんてなんにも考えてなかった。ただ僕の周りには職人が多く王道な選択肢だった。とび職の中でも歩合制でキツい代わりに儲かる会社に入ったので月35万〜40万程度稼いだ

19歳のくそガキには十分な額の給料でほしい物を買い、やりたいことをし、ある程度の目先の欲求はすぐに満たされた。それによって仕事自体の面白さを追求するようになってくる。

知らない世界を知り人生をやり直すことを決める

仕事を始めて3ヶ月にも満たない頃に父親が真剣な顔で話しかけてきた。営業成績が良くなり会社で表彰されるから式に来てほしいとのことだった。まだ若干反抗期が抜けきれてなかったので「いかねー」みたいなことを言った。しかし、その後もしつこく誘ってきた。

表彰式の場所がなぜかハワイだった。入社3ヶ月にも満たないぺーぺーが休みを取るのは申し訳ないと思っていたので本気で断ったがそれでも来てくれと言われたので1泊3日でハワイに行くことにした。

生まれて初めてのハワイ。英語も喋れるわけもなく言葉が通じないことにイライラしていた。「やっぱりこんなとこ来るんじゃなかった!」そうタクシーで思った。

ホテルに到着し早速表彰式会場に向かった。

会場は不思議な雰囲気だった。ハワイだからか会場にいる人の殆どが幸せそうに見えた。この式は外資系生命保険会社のライフプランナーと呼ばれる営業マンに対する表彰式。その会社では毎年成績上位者が海外旅行セットの表彰式に招かれていた。

会場で初めて会う親父の友人と適当な会話をしていた。「いったいトップセールスはいくらくらい貰ってるんすか?」そうきくと「今年1位になった彼は2億くらいかな?」そう言われた。

「2億??」

「オレの仕事は1平方メートル足場を掛けて250円だぞ!」その時初めて同じ時間働くのにここまで差があるのかと知った。しかも彼らは仕事に対して強い情熱とやり甲斐をもっていた。

親父の背中

そんなスゲー連中の中で表彰される父親を見て 初めて親父の努力を知った。なんでも成績が上がらなければ数年で辞めていく外資系生保営業の世界で16年間売れないままセールスを続けクビ寸前の所で成果を出したようだった。

その売れない時代の半分は自分が最も愚れていた時期と重なっていた。仕事がうまくいかないうえに息子はちょこちょこ警察に捕まったり外や学校で問題を起こす。その度に妻とケンカし家庭内別居状態にまで陥る。母は精神がまいってしまい精神病院に診察にいく程だったそうだ。

その上、娘は大学に入学したのでなんとしても学費を稼がねばならなず経済的にも精神的にも苦労していた。そして16年目に初めて表彰されることになったので親父からすれば大きな達成でとてつもなく嬉しかったんだと思う。だからあれだけ表彰式に来いと自分に言ってきたのだとわかった。

嬉し涙をこらえる親父。

父親を目指す

表彰式に出席した経験が自分の仕事に対するマインドセットを変えた「せっかく働くなら沢山稼ぎたいしやり甲斐を感じる仕事がしたい」そう初めて思った。それだけでなく親父の背中を見たことで自分も親父のいる営業の世界で一流のセールスになりたいと志すようになった。そして一流の仕事をするには知性が必要だということもその時知った

勉強を始める

20歳で初めて勉強が必要だとわかった。でも何をどうやればいいのかまったくわからずなんとなく株の本を数冊買ってみた。

まったく意味がわからず途中でやめた。そもそも本一冊読みきったことすらなかった。「まず新聞読め」とアドバイスをもらったので実家にある日経新聞を読もうとした。

その時気づいた。「これなんて読むんだろう?:促す」「??」なんて意味だ??「為替??」は?なにそれ?

自分は新聞も読めないレベルの語彙力だった。

直ぐに本屋に駆け込み辞書を買うがそもそも読めないので辞書がひけない「辞書クソだな!」そう思った。幸いにも電子辞書に部首索引があったので直ぐに購入しなんとかそれで乗り切った。

その時に買った辞典。新品同様な状態で実家に眠っていた。

専門学校に通う

いずれにせよ独学で勉強するのは無理だと思い情報処理の専門学校に通い資格をとって就職しようと考えた。

授業は2進数から始まるのだが累乗の意味もわからない分数の通分のしかたも覚えてなかった。そもそも四則演算はなぜ()が重要なのかもわからず演算の順番がめちゃくちゃで回答がいつも変化した。教育のプロの教えのおかげで情報処理の国家資格を取得しIT系企業の法人営業として就職することができた。

営業マンになる

2008年についに営業マンになった。

しかし入社した年の10月頃にはリーマン・ショックが起き100年に一度と言われる金融危機が発生した。幸い自分は新卒で入社していたこともあってクビになる恐れはなかったが能力のない中堅社員はどんどん淘汰されていく現実を見た。

「オレ全然イケてないな、デキる人ってなにが違うんだ??」この頃から自分とデキる同期・先輩・上司を比較し始めた。そこでわかった違いは

• 経験値

• 学歴

「あの人らが持ってる勉強していく力が欲しい」そう思うようになり「もしかしたら大学受験とか大学の授業で培ってる臭いな!」そう思うようになり大学進学を考えはじめた。

大学を目指す

学ぶ能力がなければどんなに良い経験をしても得られるものが少なくなってしまう。まして景気の影響もあり社内の多くの案件が凍結・キャンセルになっていたので経験する機会すら少なくなっていた。

世間は最低3年は働かないと経歴とは認められないと聞いていたので3年くらいは働こうと思っていたが経験値が貯まらない環境に3年もの時間を注ぐことに意味を感じなかったので思い切って退職して大学に行くことにした。

自費でなんとか行ける大学の候補として放送大学を選び情報収集していた。ネットでその情報を見ているところを親父に見られ親父が

「お前今更大学行こうとしてるのか?」

と言われた。

 

「・・おう」

そしたら「今なら投資できるぞ!」と言い出した。

後から話を聞くと自分が本来大学に行く年齢、18歳の時、親父は金がなく学費をサポートすることができない状況で、父親にとってそれは情けないことだと捉えていたようだ。

大学を目指したのは24歳、親父のビジネスは成功していた。次の目標として家族3代で成功することを目標に掲げていたらしくそのタイミングで自分が大学を目指したので親父は「一旦予算のことは考えないでベストなプランを考えてみろ」と言ってきた。

親父が家族の為に貯めた大切な金を使うのだから「てっぺん」狙おうと思い東大受験を考える。しかし、あまりにも勉強経験がないので受験をパスするのに2年〜3年かかってしまうと想定した。大学を卒業するのに6年以上かけるのは長すぎると思い期限は最大5年に設定した。

UCバークレーを目指す

そこで海外の大学を調べるとカルフォルニア州では編入制度が整っていることに気づいた。この制度を使えば短期大学の2年間の間に基礎教養と英語を養いうまくいけば名門校に編入するチャンスがある。

「これしかないな。」そう思った。

カルフォルニア州の「てっぺん」はカルフォルニア大学バークレー校、通称:UCバークレーってとこだとその時知った。世界大学ランキングで常にトップ10にランクインしている大学。ウィキペディアを見たら世界一の公立大学で卒業生に孫正義さんがいることを知り直ぐに彼の自伝「企業の若き獅子」を読んだ。

そして自分も彼のように平成の二宮金次郎になろうと思い親父から2000万借りて留学することを決めた。軽いノリで「オレがバークレー入ったらどうしよう?」って親父に言うと「お前じゃ無理だから考える心配ない、安心しろ」と言われたのをよく覚えてる。

誰にも期待されてないスタートだった。

とりあえず渡米

留学を決めた24歳の時に初めて英語を勉強し始めた。「Somethingってなに?」ってレベルだった。

カフェでコーヒーの注文もろくにできず「I want to cofee!」とひたすら言っていた。その後店員に「Would you like room for cream??」と言われるのだがそれが聞き取れるようになるのは相当あとのことだった。(クリーム・ミルクを入れるスペースは入りますかという意味です。)

とにかく英語が出来なかったのでコミュニティカレッジに入る為の英語力をつける為に語学学校に入学した。

場所は最初からバークレーにした。理由はUCバークレーがどの様な場所か先に見ておきたかったからだ。しかしこれが留学を成功させる上で一番重要であったと今は思う。

やれることは全部やる

環境が整ったからって頭が良くなるわけではないし成績もあがらない。語学学校を終えバークレーにあるBerkeley City Collegeというコミュニティカレッジに入学した。英語と基礎教養のレベルが低いので周りに追いつく為に高校レベルの教科書を引っ張りだし勉強する必要があった。効率よく勉強する為に自分を律しコントロールし徹底的なタイムマネジメントを実行した。

特に以下の3点を中心に生活習慣を改善した。

1. 活動記録を取り自分の行動を分析する。

2. 睡眠時間を削らない。

3. その状況(クラスの構成や自分の教養レベル)に合わせたライフスタイルを構築する。

グーグルカレンダーを使って一日の活動を記録し勉強に裂けている時間を計測した。するとボーッとしている時間や集中できていない時間が見えてくる。なるべく多くの時間を勉強にあてる為に勉強以外の行動をより効率化したり勉強する順番を変えるなど工夫した。

寝る間も惜しんで勉強することも試してみたがそれは非効率で気持ちが不幸せになるので必ず最低6時間は寝ることにした。もちろん眠い日は昼寝もするし寝過ごすこともあったが基本的には毎日夜12時に就寝して朝6時に起床した。

あの当時はウソみたいに起きた瞬間から机に向かい単語を覚えてからシャワーを浴びる生活をしていた。

当時のカレンダー。勉強している時間を黄色に塗っていた。

移動と食事以外勉強する生活を続けるとただ長く勉強すればいいってものではないことに気づく。生産性を保ちながら長く勉強するのに最適な時間は一日14時間だと自分の経験から結論付けた。

一日の稼働が18時間で14時間勉強すると4時間余る。食事・移動・シャワー等を考えても最低1時間は自由時間があるのでその間はネットでお笑いなどを見てストレス解消していた。

自分がやっていることが正しいと信じる

どんなにすごいスポーツ選手でも最初はできないはず。だから勉強も子供の頃からの積み重ねでデキるようになっているだけで「今自分がデキないのは経験が足りないからだ!」と言い聞かせ自分がやっていることが正しいと信じていた。

その結果、立ち止まることなく勉強し続けることができた。その過程はもちろん無駄なことばかりしていた。その無駄な経験が知恵になり行動を改善することができたと思う。

自分はこのライフスタイルを2年続けた。でもこのやり方は一生続けるものではない。自分が思うに死ぬ気で努力しようと思っても2年が限界でモチベーションが続かない。その先はモチベーション管理が重要になってくる。

合格発表

4月26日の夕方頃にネットで合格発表があった。朝からずっとソワソワし何度もサイトに行って確認していた。

そして5時頃。合格!!「Congratulations, Takuya!」

その時の写真

数分ボーとした。「これコンピュータのエラーだったりしてな。。。」そんなことを考えていた。

とにかく親父に電話した。はじめて親父の驚いた声を聞いた。

生まれて初めて少しは親孝行できた気がした。

日本にいた時には多くの人に「お前そんなことも知らないでよく生きてこれたな」とかよく言われていたがそんなオレでもなんとかなった!

人生で一番うれしい瞬間だった

しかし本番はこれから。授業がめちゃくちゃ難しいとか死ぬほど課題がでると他の学生から聞いていたのでこの残り2年でどれだけ成長できるかがオレの人生を決める。

編入後、居させてもらってる感

編入前からバークレーに住んでいたのでUCバークレーはドリームスクールで入学が決まったら地元でめっちゃ自慢してやろうと思っていた。しかし、あまりに周りについて行けなくてそれどころじゃなかった。「こんなスゲー人達の大学に居させてもらってるんだな」と恐縮しながら最初の学期を過ごした。

初めての中間試験は統計学で30点と平均以下。テストで点数が取れなくても周りがすごいからしかたないと正当化していて成績も悪かった。

「いやっ、ちょっとまてよ!」と思い始める

1学期が終わるとだんだん慣れてきて「やっぱり人間本来の頭の良さは変わらないな」と思う様になり、いよいよライバル意識が芽生え「オレもバークレー生だ!」と自覚が芽生えた。先学期の失敗を踏まえて攻略法を考え勉強の仕方に問題があると思い戦略を考え始める。

すると周りの学生と比較することで一つ大きく違うところを発見した。それは

「授業自体で理解し覚える」こと

はっきり言って自分は元々勉強は得意でない。だから授業を聞いてわからなかったら「後で調べよう」とか「週末にキャッチアップしよう」と考えその場はなんとなく流す癖が身についていた。

それをやるとクラスの課題に時間を使えるはずが授業の内容をもう一度やるので他の課題が追いつかなくなる。読書課題などは週末に200ページくらいあるので英語が苦手な自分にとってはそれだけで時間がかかる。

だから以下の3点を行い授業自体をその場で理解し覚える癖をつけた。

1. 授業の内容を予測して予備知識を入れておく。

2. 明日からその授業を自分が教えると仮定してノートを取る。

3. わからないことはその場で解決する。

などと勉強方法を変えた。その結果、成績はかなりまともになりエッセイでもネイティブの平均値を大きく上回る成績をとることができた。

つーことは。

自分はいつも人の能力はさほど変わらないと思っている。確かに天才はいるがほとんどが努力家だ。ここで勉強している人のほとんどが「オレはそんなに頭良くない」とか思っていて人一倍努力できる努力家集団であることに気づく

自分が最初の1学期目で成果が出せなかったのは周りが自分よりも数段優れている事実を地頭の良さの影響だと錯覚していたことで努力を怠ったからであった。

アメリカの大学は日本の大学と比べると入学段階ではそれほど学力を求めない。入学後にひたすら鍛えられて卒業していくからだ。

もし自分がバークレー生の自覚に芽生えなかったら恐らく看板だけ立派なザコとして社会復帰していたのだと思う。

どこ行っても常に上には上がいる。それを見た時に元の能力はさほど変わらないと思うことができれば更にもう一歩進むことができる事を経験した。あとは継続した者が勝つと信じてこれからもやり続けようと思っている。

自分のようなザコでも継続的な努力はできるのだ。

最後に

僕の長い文章に最後までお付き合い頂いてありがとうございます!

留学することが決まった時に僕は自分が「どれ程恵まれているのか」知らされました。中学高校は好き勝手遊び多くの人に迷惑をかけ、ろくに勉強もしてないのに留学するチャンスを得られた。

多額の費用がかかる以上、誰にでもできる経験ではありません。ましてアメリカのトップスクールの学費は尋常じゃない金額です。子供の頃から留学を夢見て、でも金銭的な支援が得られず諦める人が多いことも留学してから知りました。

ですから、自分ができることは最大限にやろうと思い今回storys.jpにて自分の過去、「ぼくのやったこと。」を共有することで誰かの役に立ちたいと思いました。

今後もブログを通じて情報共有していきますのでもしご興味頂けましたら御覧ください。

また留学に関する質問等ございましたらメッセージください。

ブログ http://takuyasuzuki.com/

Facebook https://www.facebook.com/takuya.suzuki2

twitter https://twitter.com/takuya_suzuki_

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2015年10月5日に追記しています。

僕が始めてこのストーリーを書いたのは一年前です。ものすごく反響があり、その後多くの人から「私も頑張ります」とメッセージをもらい、僕自身が更にモチベーションを得ました。そして運のいいことに、出版社の方からも出版しないかとお誘いをもらいました。ネットで何を言われようが、もし僕のこの家族のストーリーが少数でも誰かのモチベーションになるのであれば、出版という方法を駆使してでも広める価値があると思い一冊の本を書きました。

『バカヤンキーでも死ぬ気でやれば世界の名門大学で戦える』

タイトルとは裏腹に家族との話を盛り込んで良い物となってます。もしご興味頂けたら僕の気持ちを読んで貰えると嬉しいです。

ありがとうございました!

専門学校からでも大学院に進学できる?? – 事前資格審査とは –

僕はこの夏から大学院(ビジネススクール)に勤めているので毎日本気で勉強に励む大人を見る。やはり社会人が実践に活かそうと勉強している姿はエネルギーをやモチベーションを感じるので毎日パワーをもらえる。大人がこうやって学べる場がもっとあればいいなーなんて思い、日本の大学院の数を調べてみたら623もあった。ビジネススクールの様に実践力を鍛える場と研究をする場では異なるとは思うが、これらの場を有効活用していくことはキャリアチェンジや能力開発をする上で悪い考えではないように思える。

アメリカにいた時も僕の周りにいた多くの学生は大学を卒業後、大学院に進学することが多かった。大学院はもちろんストレートに学部から進む人もいれば社会人経験を積んだあとに行くケースもある。アメリカで歴史のある企業やテックカンパニーなどはマネージャーになるためにそもそもMBAを取得しなければならないと明確に示している企業もあったりする。

大学進学率

大学院に進学するには大学を卒業している必要がある。ではいったいどのくらいの人が大学を卒業しているのか見てみると、大学学部への進学率は

  • 平成16年42%、
  • 平成26年51%。
  • ※その他平成26年進学率:高校への進学率98.4% 学部進学率51% 短期大学5.2% 専修学校25%

こんな感じだった。皆高校には行くけど大学は半分くらいしか進学していない様だ。

出所文科省統計:http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/1356065.htm

感覚値ではもっと4年生大学に進学する人が多いと思っていたが意外と50%程しか進学していなかった。その中で限られた人だけが大学院で学ぼうと考えることになる。僕はビジネススクールで働くことが決まった段階でこの学歴によっては進学のチャンスがないことが引っかかっていた。すると隣に座る僕のボスが「事前資格審査があるよ〜」と教えてくれた。

事前資格審査とは

文科省の定める修士課程・博士課程(前期)の入学資格についてこんな一文がある

「大学院において個別の入学資格審査により認めた者(施行規則第155条第1項第8号)」

これは専門卒や短大卒などの大卒以外の場合、大学卒業と同等以上の学力が認められれば、大学院入試の出願資格を得ることができるというものだ。

この制度がある大学院であれば、専門学校卒でも短大卒でも入試ができる可能性があり修士やMBAを取得しハイレベルな環境で学ぶことができる。極端な話、高卒でも普段の仕事や自分で学んできたことが大学卒業レベルだと証明できれば大学院に入学できるのだ。

ただこんな情報にたどり着く人は殆どいないと思う。普通自分が大学を卒業していなければ大学院についてそもそも調べたりしなから。僕がもし24歳の頃にその制度に気づいていたら、もしかしたらアメリカには行ってなかったかもしれない。

留学よりも現実的で学費も300万〜400万程で留学よりかは費用が抑えられる。今ならハローワークの教育訓練給付金など使えば最大96万程補助がでる。

どんなことすんの?

その資格審査ってどんなことすんの?ってところがまた学校によって異なるのでなんとも準備しづらく難しい。いくつか例を出してみる。

こんな感じ。詳細はそれぞれの大学院に問い合わせするしかないが、どうせ受からないと諦めることなく応募してみる価値はありそうだ。そして審査はすべて無料なので最悪ダメなら来年挑めばいい。

学歴とか関係なく多くの人が仕事を実際に始めてから人生を見つめなおしたり、家族が出来てから本気でライフプラン考えたりすることは多いと思う。50%程も学部進学してない中で、僕の様に「大学院はそもそも大学卒業してないとダメだしなー」なんて思っている人が他にも多くいるのではないだろうか。もし「どこかで学びたいなー」と思っていたとしたら、大学院も一つの候補としてあり得るのだということを知って貰えたら嬉しい。

キャリアデザインシンキング (udemy)

学生時代にお手伝いしていたUC BerkeleyスタートアップのMeryselfで作ったワークショップをUdemyにアップしその後まったく拡散してなかったので、今更ながら記事にしてみた。

キャリアデザインシンキング (udemy)

昨今注目されている問題解決手法の一つにデザインシンキングがある。キャリアの考方にデザインシンキングの手法を取入れたものがキャリアデザインシンキングだ。キャリアとデザインは不確実性の高い状況や未来についてアプローチするという点に共通点がある。

自分が持つ趣味や思考が変われば求めるキャリアも変化する。キャリアプランは社会や経済のトレンドにも影響を受ける。キャリアは内的要因、外的要因の両方から影響をうけるのでとても不確実性が高い。それに対して思考を巡らせる手法が必要である。このコースでは自己分析の様に潜在的に持っている自分の価値観を洗い出し認識するしたり、葛藤を紐解き、現時点での理想の将来のビジョンを描き具体的にアクションプランを作っていく。キャリアを考えるうえで問題を解決するためのツールを作った。

Meryselfについて

Morgan Stanleyの元ヴァイス・プレジデントの表さんと米国Google本社のトップ数%エンジニアに選ばれた井上さん率いるUC Berkeleyスタートアップ企業。人工知能を駆使した転職マッチングプラットフォームのmitsucariなどを手掛けている。そこで出来た一つのコンテンツがキャリアデザインシンキング。過去に米国大学やシリコンバレー企業に向けたセッションを行いその内容をまとめ、オンライン教育プラットフォームのudemyにアップした。

キャリアデザインシンキングの内容

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デザインシンキングで重要なDiverge(アイデアを広げる), converge(アイデアを一点に集中する)などを行いながら具体的なアイデアを洗い出しプロトタイプを作りアクションに繋げていく。主に以下の6つのステップで自己を紐解く

  1. 人生で良かったこと(ブレスト: diverge)
  2. 人生で悪かったこと(ブレスト: diverge)
  3. インサイトマップ(葛藤のひも解き: converge)※株式会社WOW WAY協力
  4. 自分の強みと弱み(客観意見の取入れ)
  5. 未来の自分スケッチ(プロトタイプ作成)
  6. ロードマップフラワー(アクションプラン)

これらはデザインシンキングの手法を活用してできている。潜在的な自分の好みを知るブレスト: divergeのセクション。アイデアをdiverge, convergeし、スケッチを書くというプロトタイプ、これらを繰り返したりしっくりこなければ一つ前のステップに戻って何度も繰り返しながら具体的なアクションにつなげていく。詳しくはudemyコースで。https://www.udemy.com/career-design-thinking/

終わったころには、今の時点での5年後or 10年後の自分のイメージを持ち、それに向かうための具体的なアクションを知ることができる。そんなワークショップ。実際に自分で試すこともいいが、可能なら2たり一組やグループを作って皆でやってみると効果的。

udemyに関して

C to C教育プラットフォームのudemyは海外ではかなり浸透しているMoocs系企業。一般の人が持つ知識や知恵を動画やプレゼン資料を使いながら教えていく。金額も200ドル程する講座が沢山ありトップのインストラクターはかなりの金額を稼いでいる。

近年普通の仕事やめUberの運転手をするなど働き方が急速に変わってきている。Youtuberのようにudemyで生計を立てる人も存在する。日本人は世界に広める価値のある技術や文化が沢山あるので動画に英語字幕を載せ世界に発信するだけでも外貨を稼ぐことができるプラットフォームなので今後はかなり注目する。日本国内ではオンラインの講座に数万円支払うという感覚はあまり浸透していないが海外ではそれなりにある。過去無料であったMoocs系企業、CourseraやUdacityなども有料化した講座や修了書を発行する場合は有料などオンライン教育ツールは進化し続け世界中に発信されている。

少子高齢化をグラフで見たら。

僕の父親もさり気なくブログを書くことがあるが、いつも周りにシェアしないのでこのサイトを通じて拡散するようにしようと思う。http://suusan-quietworld.blogspot.jp/

下記は父の記事をリライトしたもの

プレゼン資料の数字やグラフを見ただけで現状を理解してしまう人がいる。筆者の前職時代のボスもそうだった。知識を駆使しながら数字をヒントに解釈して行動につなげていく。日本の少子高齢化についてもただなんとなく考えるのでなく、数字から読み取ってみる。

日本の総人口は1億2000万人くらいであり、これから少しずつ総人口が減少する事は多くの人が認識している。更に見ていくと、生産人口(Labor Force)と言われる15〜60歳の人口はより急速に減少している。出生率(Birth Rate)が低さからもみえてくる。1歳あたりの人口でも、現在60歳では200万人であるのに対し、現在15歳では120万人となっている。

消費と生産の関係に置き換える

この情報から考えられることがまず2つある。消費は総人口に比例するので人口に併せて消費が緩やかに減少する、生産は労働人口(Labor Force)に比例するとしたら生産力・供給は急速な減少が起きる。

いくら生産設備があっても使える人がいなければ設備は有休資産になる。またサービス業の場合は機械に置き換えられない商品もあり、日本国内の需要に対して供給が先細ることが考えられる。

そしたらどうなる?

人出不足の若年労働者は完全雇用に近づく。若年労働者の需要が高まり給与水準は高めにならざるを得無い。賃金コストが高くなることで生産性を高めることが必要不可欠になる。 ここから2つのことが考えられるのではないだろうか。

  1. コストを抑える為に労働生産性の高い個人がより求められる。
  2. 一人で多くの生産設備を使い、設備稼働率を上げる。

2つの生産現場を想像する。有形のモノを作る工場や農業漁業。無形のモノを作る知識産業。日本は高度経済成長期以降、有形のモノの生産性は非常に高いといえる、一方で知識生産性、オフィスの生産性はまだ改善の余地がある。

今後、僕達が注力するべきことは知的生産性の向上、サービスの生産性ではないか。特にアイデアを発展させるコミュニケーション能力の向上、人を魅了するプレゼンテーション能力の向上、アイデアを視覚化し議論を深め他のアイデアと掛け合わせる技術向上やツールの活用が望まれるのではないだろうか。

欧米での若年労働者の数十パーセントの高い失業率のように日本の若年労働者を失業状態にさせたり、派遣採用などし労働生産性が低い状態が続くのなら、我々の将来は危機的状態である。

逆カルチャーショック

海外留学して日本に帰ると逆カルチャーショックがあると聞いていた。正直僕には無縁だと思っていた。だってコテコテの日本人だし、24歳まで日本で生活していたし、日本社会に溶け込んでいたからだ。それでもあった逆カルチャーショック。今回はそれについて書いてみた。

アメリカで学んだクリティカル・シンキング

なぜそうなんだろう?という問を常に問いかけることで無意識に感じることを意識化したり言語化することを徹底的に鍛えられる環境が僕のいた大学だった。政治経済の授業でも平等とはなにか?自由とはなにか?貧困ってなにか?など哲学的なことを問う。それに対して自分なりに考え内容をまとめディスカッションで発言したりエッセイを書く。エッセイでは簡潔に書くがディスカッションでは話を膨らませアイデアを深めることをひたすら行った。僕はもともとそういった事を考えるのが好きだったしプライベートでもそんな話をする機会が多かった。

批判的に物事を一旦とらえ思考することは極めて重要だ。でもそれを声にだすかどうかは話が違うのだと日本に帰ってから学んだ。英語で会話をすると何かを発言した後にほぼ必ずbecauseがつく。どんなしょぼい内容でも理由を常に探しながら会話をすることがとても多かった。当然日本に帰ってからも常にそういった思考が働き続けた。なぜこんなに熱いのにスーツを着るのか?どうしたらそれを改善することができるのか?家族愛ってなんだ?とかいろいろ。

理由を口に出すと理屈っぽい人になる

慣れ親しんだ仲間のいる地元に帰り昔話をしたり色んな話をする。僕は当然いつものように疑問が沢山あがる。なぜそう思うのか?なぜ?なぜ?なぜ?一度問を思い立つのそれについて会話の途中でも考えてしまう。自分なりに考えがまとまるとそれを口に出し話す。するとどうなるか。

ウザがられる。

普通の会話からはじまりアメリカはどうだった?とかこれからどうするの?とか聞かれそれに答えていく中で自分的にここだけは譲れない領域の話題が起きるときがある。そうすると自分が全力で考えたことを共有しようと頑張って伝える。するとどうなる。

ウザがられる。

それだけじゃない。もはやこうなってしまうとすぐイラつかれるので「これいいね!」という発言のあとに「だってさー」と理由をつけ始めると周りの反応はどうなるか。

やっぱり、ウザがられる。

僕は悩んだ。「いったいどうすればいいのだろう」

僕が留学する前にちょっと意地悪で怖いインテリの人は人を理詰めしたり上から目線で話をしている人がいた。そして気づいた。今僕がやっていることは当時ちょっとうざいなーと思ったインテリの人と同じだった。そりゃウザがられる。ただ相手は共感してほしいだけなのに理屈を話してしまっていた。

僕は全力で必死にバークレーの環境に適応しようと努力した結果もっとも大切で自分の強みであったはずの人間力を失いつつあったと気付かされた。相手を思いやり話を聞いて心から共感することができなければ人といい関係なんて作れない。そんなことを地元の友達は教えてくれ帰国しょっぱなの出鼻をボコボコにへし折られ初心に帰る準備をすることができた。

コミュニケーションとは

僕が理解していたコミュ力は伝える力だった。うまく考えを伝えるには無意識を意識化しその情報を構造化してわかりやすく順序だてて伝えていく。時には演繹的で帰納的だったりする。いずれにせよ論理的で理屈っぽい。というか理屈そのものだ。でも本当に必要なのは相手を尊重し理解し共感することで自分の意見を論理的に構造的に伝えるのはごく限られた場面だけでいい。メインアーギュメントだけ言えばよくてそれを証明するトピックセンテンスや例をわざわざ話す必要なんてない。人のメインアーギュメントを聞いてそれに対しおれもそう思うとかそれいいね!とか熱い!とか自分が純粋に思うことだけを言えばいい。余計な理屈を普段の会話で言う必要なんてない。そんな当たり前なことが僕にとっての逆カルチャーショックだった。

UC Berkeley B−Boyマスマティシャン  町田拓也さん

※僕が大学で運営するはっちスタジオBerkeleyという大学誌の記事を念のためブログでもシェアします。http://ucberkeley.hatchstudioinc.com/archives/138

2015 年 第一弾 世界の第一線で活躍する研究者の中でひと際浮いている B-Boy Mathematician(数学者)の町田拓也(マチダタクヤ、以下Takuya)さんをインタビューしました(写真中央、青色の服)。

写真は、2014 年1 月にBaltimore Convention Center, Baltimore, Maryland, America において開催された、2014 Joint Mathematics Meetings AMS Special Session on Quantum Walks, Quantum Computation, and Related Topics にて撮影されたもの。

彼も自身の研究である量子ウォークの研究結果をプレゼンテーションすると共に、このセッションのオーガナイザーのひとりとして活躍した。この研究集会は、毎年アメリカで開催されており、世界中の数学者が集まる世界トップクラスの数学の研究集会である。

<略歴>

  • 2005 年 横浜国立大学工学部生産工学科卒
  • 2010 年 横浜国立大学大学院工学府博士後期課程修了
  • 2013 年 日本学術振興会・特別研究員PD,カリフォルニア大学バークレー校数学科Postdoctoral Scholar(兼任,2015 年1 月まで)
  • 現在に至る
  • 博士(工学)
  • 専門: 数学 確率論
  • 研究分野: 量子ウォーク,複雑ネットワーク

<カルフォルニア大学バークレー校での研究活動に至るまでの経緯>

現在専門的に研究を行っている量子ウォークは、比較的新しい研究分野であり、日本国内にある量子ウォークのコミュニティーは、今現在とても小さい。視野を広げるために海外の研究者と直接議論して共同研究をしようと思ったのが、渡米のきっかけである。

所属先である日本学術振興会の特別研究員(3 年の任期付)として研究をするにあたり、最大1 年半(18 ヶ月)の間、海外での研究活動が許されており、活動予算もあることから、カルフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)での活動を決めた。大学の選定理由は、量子ウォークを研究している知り合いの教授が、この大学にいたからである。

<研究分野について>

量子コンピュータの数理モデルの1 つと考えられる量子ウォークの性質を、数学的視点から明らかにするために研究をしている。微粒子のブラウン運動のように、粒子の動きが無作為(ランダム)に決まるような運動を「ランダムウォーク」と呼び、量子ウォークはこのランダムウォークの量子版に相当するものである。量子ウォークを応用した量子アルゴリズムもこれまでに多数考案され、量子コンピュータへの応用に向けた研究が進められている。

<UC Berkeley でのライフスタイル>

昼間は研究をしているが、仕事が終わると20 歳の頃からやっているダンスをしている。ハマり症ということもあり、数学とダンスにはハマり続けている。興味のあるダンスのジャンルも様々で、ブレイクダンス、ロック、ポップ、ヒップホップ、ハウス、ジャズなどを取り入れて踊るフリースタイルダンサーである。

日本では自身のダンスチーム Soul Ability(ソウルアビリティー)での活動経験もあり、都内のクラブイベントでショーケース活動を行っていた。

アメリカでは、ベイエリアで開催されているダンスセッションに参加して練習を続けている。主に、サンフランシスコ市内のCity Dance Studios(10 Colton Street, 9pm to 11pm, Monday and Wednesday)で開催されているオールスタイルダンスのセッションと、UC Berkeley で開催されるDwinelle Hall Breakersのブレイクダンスのセッション(UC Berkeley の学生により企画されているため練習場所と日時はその都度決まるが、公式にはTuesday and Thursday となっている)に参加。ベイエリアのダンサーと練習を一緒に行い、コミュニケーションを図っている。

“Takuya”の名前は、Berkeley にいる大抵のB-boy ダンサーには知られており、その存在をベイエリアに刻んで、研究者とダンサーを両立している。遊び場のクラブも教えてもらい、サンフランシスコ市内にあるTemple SF やオークランドにあるNew Parish がおすすめとのこと。

1911625_408828282608861_4117088139028342712_nTakuya さんが友人と一緒にオーガナイズしたダンスイベント(UBE Presents:The Free For All Battle sponsored by Takuya Machida @ MVMNT Studios, 2015 年1月17 日)。

Takuya さんは2015 年2 月に日本に帰国するため、事実上、彼のフェアウェルパーティーとなった。サンディエゴからも友人が駆けつけるなど、ベイエリアのダンサーが彼を見送るために集まった(写真中央がTakuya さん)。

994056_10103893571194050_1847050990_nダンスをしているTakuya さんのイメージとは違って、普段は数学のことばかり考えているようである。しかし、ダンスをしている時だけは数学のことを忘れて、仲間との楽しい時間を過ごせるので、Takuya さんにとってダンスは非常に大切な存在となっている。

ダンスを始めた当初に出会ったダンスインストラクターに、“好きなことで食っていく”ことの素晴らしさを教わり、Takuya さんも自身の好きなことと共に自由に生きている。今後、何がしたいかと質問すると「これからも楽しく生きていきたい」と彼らしい返答をもらった。

真面目になったとたん成績が伸びなくなった時の話。勉強は長距離走と短距離走。

【中学の時に覚えた「だるい」って言葉。】

小学校まで真面目だったのに親との関係が悪くなって居場所を求めて気づいたらヤンキー社会の中にいた。周りの仲間はいつも口癖のように「だりー」とか言っていて自分も頻繁に「だりーなー」って口に出すようになっていた。ぐだぐだ外でたむろすることがなぜか楽しく夜遅くまでコンビニの前とかたまり場にいて昼過ぎまで家で寝ているような中学生活だった。だるいことは最小限やらないようにする怠惰な性格であったので最小限の努力で最大限の成果をだすことを常日頃考えていた。

【やらなくてもデキるタイプ】

2コ上の先輩でどヤンキーなのに数学はいつも90点台をとる先輩がいて「あんな感じカッコいいなー」なんて思っていて、勉強なんて興味ないぜ風な感じでクラスメイトのノートを見せてもらい試験前に一夜漬けをしていて理科と数学のテストは85%〜92%くらいのそこそこの成績をとっていた。

【真面目にやってるのにデキないタイプ】

24歳の時に人生やり直そうと思い、また大学留学するチャンスを得た。「中坊の頃は適当に勉強してもそこそこデキたから真剣にやったらめっちゃできるはずだ!」そう思って取り組んだ。でも不思議なことに毎日真面目に勉強しいる方が成果が上がらなかった。

すると中学の頃の自分の様にそんなにやる気ないのに平気な顔して高い点をとるヤツが現れた。「おれやっぱりバカなんかなー」と思い始めるようになった。

やってもやってもデキないこと程苦痛なことはない。頑張るだけ自分がクソなんだと知らされているような感覚でテスト結果を見るのがおっくうになってった。

真面目にやろうがテキトーにやろうが成果はそれ程変わらないという事実はやればデキると思っていた自分にとって衝撃的だった。「何かが足りないなー」そんな感じがした。

【改善を始める】

自分が住んでいるBerkeleyという町はキャンパスタウンで世界中から優秀な学生が集まってくる。当時知り合った日本人のいわゆるエリートコースを走ってきた人たちと会う機会が沢山ありいつも彼らに「昔どのように勉強してた?」と聞いていた。

自分になくて彼らにあるモノは何か?それを知る為に彼らの勉強法やバックグラウンドをインタビューしていた。そこには共通点があった。それは

  • 継続的に勉強してきたこと

色んなテクニックも教えてもらったがどの人にも共通していたのはブランクがなく継続して勉強していることだった。でもこれは子供のころから継続していないとデキるようにならないということではない。子供の頃に習うレベルの内容をすっ飛ばしていないということに気づいた。

自分の場合、大学で勉強しているけど実際は中学や高校レベルの知識が欠けているので理解するのに時間がかかり闇雲に継続しても成果が上がらなかった。

高校レベルの数学、歴史、現代文などの基礎を独学で埋めることで少しづつ結果が伴ってきた。その時の心境は「あぶねー、これに気づいてなかったら諦めてたな。」と思っていた。勉強は最小限の努力で最大限の成果だす瞬発力が重要だと思っていたけど積み重ねが必要な長距離走だとわかった。

【UC Berkeleyで】

4年制大学に編入する前にカルフォルニア州内の2年制の短大で勉強し3年からUC Berkeleyに編入した。バックグラウンドは様々だけど毎日継続的に勉強する学生が沢山いた。まぁーでもうまく勉強するには長距離走的な持続する勉強が大切だとわかっていたのでしっかり継続してわからないところを埋めていけば大丈夫だろうと思っていた。

でもそれが通用しないことが直ぐにわかった。相対評価の場合特に周りが自分以上にできれば自分がどれ程努力しても成果にならないからだ。彼らは課題の量が多いにも関わらず勉強以外にも課外活動したり遊ぶ時間を作っていて「これはさすがに天才だな。」と思った。

でもまたちょっとすると彼らの共通点が見えてきた。それは

  • ピークをコントロールすること

毎日継続して勉強するけれど、そのやり方(集中度)に波があってピークを必ず試験日に調整できるようだ。

彼らには過去の蓄積がある、継続的に勉強する習慣も身についている。結果的にそうなっていることが殆どだと思うがピークを設定してそれに向けて勉強していた。常に優秀である必要はなくてここぞというタイミングに併せて能力を最大限に発揮するように勉強することが必要だった。自分は今その能力を得れるよう全力で取り組んでいる。

勉強が長距離走であることは変わらない。でもその中でスパートを駆けることができればいい。立ち止まることなく走ることと必要な時にスパート掛けることがデキる人がアカデミックな優秀さなんだとわかった。

【絶対に追いつけない】

世の中すごい人が本当に沢山いる。自分が遊んでいる間にそれだけ読んでいて、問題に立ち向かっていて、考えている。ここに来て限界がわかった。

「昔から真面目に努力し続けた人には一生かなわない」

長距離走だから彼らは自分よりも相当先を走っている。だからどんなに後から努力しても追いつくことはできない。そしてうまく走り方に強弱をつけて走りながらも人生を謳歌しやるべき時にしっかりやり成果を出し続けている。

でももう一つわかったこと、それは

「走り続けていれば走ることをやめた人には必ず追いつく」

学校の試験は短距離走のようにその場で順位が決まる。でも人生は瞬発力だけでなく持久力が重要で長距離走だから真面目にやっている人が報われない社会なんてない。ただどのタイミングで自分の能力のピークを持ってくるかを鍛える必要があってそれが評価に繋がっていく。

いつの時代でもデキる人は「元がいい」とか「生まれつき」とかってことばで片付けられる。「努力しても成果がでない人だっているんだよ」とかいう人もいる。本当にそうなのだろうか。少なくとも自分はそう思いたくない

「やるかやらないか。僕はやらない人間だった」 きっかけを得た後、本当に行動するために必要なこと。

父が外資系金融機関にて営業をしておりその影響で興味を持ちました。

高校を卒業後、とび職の会社に就職しその年の夏に父が表彰されることとなり表彰式に参加しました。そこで見る父の同僚の姿はやる気に満ちており自分の務める労働環境と明らかな違いがありました。仕事をただ沢山稼ぐだけでなく情熱を持って働く姿勢に違う世界があると感じました。そしてその表彰式の場で初めて父の苦労を聞くことになり改めて尊敬し父の様なセールスになることが目標になりました。

高校を卒業してとび職をしていた19歳の時、少しお金が貯まりそれを何に使うか考えていた。十代の頃はひたすらモテる事ばかり考えていてその為に金を使っていた。周りの先輩には職人になって、金貯めて、カッコいい外車を買って男女両方からモテている人もいた。その姿を見て自分もCoolなアメ車を乗り回したいと思っていた。港北にある中古車店の前をたまたま通りがかった時にピカピカに光るアルミホイールを履いた黒の中古SUV(Sports Utility Vehicle/スポーツ用多目的車)が250万円で置いてあり「これ買ったら確実にモテるな」そう思った。

それと、同時期に父親の表彰式があり「親父の背中」に影響を受け、父親のようなビジネスマンになりたいと思い専門学校に行くという選択肢も現れた。

たぶん普通の人ならやる気のスイッチが入れば迷うことなく行動できるのかもしれないが、自分は本気で貯めた金を車を買う頭金にするか学費の足しにするかを悩んでいた。

「今モテるか」「将来モテるか」当時の自分の頭のなかにはこの2つがあり6割くらい今モテたいと思っていて車を選びかけていた。自分は目先の欲望を追いかける人間だった。

子供の頃

その性格は子供の頃から続で、親や先生が勉強しろといってもやる気にならないし、気が向いてやっても本気で勉強に取り組むことはなかった。

まぁーあたり前だ。勉強するには必ず時間と労力を投資する必要があるからだ。

  • 好きなことをやる時間を失う
  • エネルギーがかかる

この2つの苦痛を受け入れてでも勉強するにはそれなりの動機が必要だった。子供の頃はそれがなく勉強の必要性すら感じていなかった。しまいには勉強しないことを正当化するために「オレは楽しむために生まれてきたのだ!」なんて言っていた。

現在に生きる

学校では優秀な人達が将来の生活を良くするために努力し時間を投資する。でも、自分は現在に生きていたので、努力している人が勉強にあてている時間をふんだんに使って遊んでいた。高校生になってからは稼いだ金をほしいものを買うために使い、そのものを利用して友人と遊び、自分の存在感を出す。女だけでなく男からもモテるために行動していたら、高校を卒業してすぐ、とび職になっていた。その時には遊びが新鮮なものでなく飽き始めていた。楽しむために生まれてきたはずなのに楽しいことに飽きてしまっていた。

新しい目標

そんな時期に父親にインスパイアされ、カッコいいビジネスマンになるという新しい目標ができた。それから車を買うか学校に行くか数ヶ月考えた。しだいに現在に生きて目先の欲望をどんどん満たしている生活が「なんかつまらないなぁ〜」と思う感覚がつのり、それを変えるために学校に行くことを決心できた。

幸運

今振り返ると自分は運がよかったと思う。普段の自分は何かにインスパイアされて目標ができても、目先の欲望が強くて現在に生きる道を選んでいた。たまたまこの時期、その生き方に飽きを感じていたので次の道に踏み出す決意ができた。

その後、色々あって現在はアメリカの大学に留学している。大学でマズローの欲求5段階説を知った後に自分は着実に5段階の欲求を満たそうと行動していたことに気づいた。1, 生理的欲求、2, 安全の欲求、3, 社会/愛の欲求、4, 承認の欲求、5, 自己実現の欲求。この順番を一つでも飛ばすと自己実現欲求には辿り着かず、自分を見つけることができなかったと思う。

一度勉強を始めると今までできなかった「将来に生きる」ことができるようになった。ジョン・デューイの「経験と教育」によれば、教育は未来の準備であって知性の自由を得るために初期の欲望を延期させる能力を体得することが必要だという。だから親や先生は目の前のやりたいことをさせないで勉強せよと問いかけていたのだと気づいた。

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将来に生きる

子供の頃、周りの大人が勉強しろといってきたがそれを理解することはできなかった。まして勉強はエネルギーが必要で、好きな事をする時間を諦める必要があるので苦痛でしかなかった。勉強するには目標が必要だった。

幸い僕は好きな事をして、目先の欲求を満たしきることで目標を見つけることができた。目標があればその達成のために欲望を我慢できて延期させることができるようになった。

僕は今、28歳でとても恵まれた環境で勉強できている。欲望を延期させ、学生生活のほとんどの時間を勉強にあてることができるようになった。こうなるためには一般的にはよくないといわれる目先の欲求を徹底的に追い求めることが自分にとっては重要だった。

「目標を達成するには我慢が必要だけど、目標を見つけるには我慢せず欲望を満たすことが必要なんだ!」そう気づいた。

頭ではわかっていても行動に繋がらないことはたくさんあった。それは自分の場合、勉強がそうだった。目先の欲求から順番に満たされていないと生きる目標がなんだかわからなくて、腹くくって行動することができなかった。

19歳の時の自分がもし目先の欲求を満たせてないと感じていたら、僕は今頃ピカピカのアメ車を乗り回していたと思う。

変わりたい人のためのメディアを作ってみた。

変わりたい人のメディアを作ろうと思ったのは僕が実際に変わりたいと思った24歳の頃の自分に今ならどんな情報提供ができるだろうかと考え、試しにやってみようと思ったのがきっかけだ。とは言っても「ただ人の役に立ちたい!」とだけ思う程僕は気持ちのいい人間ではない。もっともっと成長したいという個人的な願望が先にあって「せっかく勉強して面白いことを知ったら周りに伝えてみよう」それが僕の思考回路だ。でもこの素人の文章が多少でも役立つのであればそれはやった意味がある。だったら思い切って行動しようと決めサーバー契約してwordpressの使い方を調べとりあえず作ってみた。

立ち止まるという危機感

個人ブログを通じて情報発信し出来ることから周りに貢献し自己成長にも繋げたい。今の僕にとって出来る範囲ですぐに取り組める行動はブログだった。

Uniqueというタイトルをつけることにした。自分を変えようと思った時に僕は周りに遥かに劣っていた。基礎教養、常識、スキル、特に目立った能力もなければ強い信念もなかった。でも変わりたかったし遅れてスタートするなら尚更周りとは違うやり方、自分に合うやり方を無意識に模索していた。たまたま僕は海外大学に留学するという選択肢があったのでそれを選び全力を尽くした。それは言い換えれば人と違うユニークな自分を創りだそうとする行動だった。

ユニークな自分になる方法は他にも沢山ある。その為に役立つ情報を発信したい。それがこのタイトルにした由来。僕は普通以上に恵まれた環境にいた。そのぶん自分の出来る範囲で同じように変わりたいと思う人に貢献できればうれしい。せっかくそう思ったのだから立ち止まることなく前進したい。

情報発信と自己成長

情報発信をすることは人に貢献する側面以上に自己成長に繋がるメリットがある。プロじゃない個人が思ったことをネットに書き多くの人に読んでもらえる時代だからこそできるブログやSNSを通じて行う情報発信。ここでできる自己成長はとても重要だ。

まず一つは考える機会が沢山あること。書くということは誰かに伝えたいものがある。アイデアが浮かべばその都度それをわかりやすくまとめる。想定する読者について考えどの様な視点で書けば伝わるか考えることはとても難しくチャレンジングで面白い。

次に勉強する機会があること。色々考えていると知識不足であることがすぐにわかる。その都度読書をしたり人と話したりして内容をまとめていく。情報発信しようとすると必ず勉強する必要がでてくる。具体的に情報発信という目的があると勉強はそこまで苦でなくなる。

最後に書いたことが記録として残ること。普段人は色々なことを考え時には素晴らしいアイデアが浮かぶ。「こんな商品があったらいいな~」なんて思っていたらそれが実際に現れるという経験は多くの人がしていると思う。ビジネスに関連しないことでも問題に直面した時に色んなことを考え学ぶ。でも残念ながらそれを忘れるのはとても簡単だ。情報発信は自分で勉強してそのインデックスをわかりやすく周りに伝え一緒に学ぶ機会を広げることになる。その活動のすべてが記録として残る。その時、その場所でひらめいたことや考えたことをまとめ残すことはデザイナーやアーティストが作品をポートフォリオとして残すようなものだと僕は思う。文章を創造しそれを自分の作品だと考えることができれば形の残しずらいアイデアを仕事とする人にとってはその作品を人に開示できるようになる。それが継続的なやる気に繋がる。

情報発信と情報集積

情報発信は不思議なことに発信したらそれだけ自分の知らない情報が舞い込んでくる。「君これ興味あるならこんなイベントあるよ!」とか「こんな人知ってるから紹介しようか??」とかいろいろ。大学留学をしていた頃の僕のライフスタイルは基本キャンパス内か自宅で勉強するだけでそこまで多くの人と会ったりコミュニケーションを取ることができない。ミートアップに行ったとしてもその場で話すことは軽い挨拶と自己紹介なのであまり色々な話はできない。しかし、一度SNSなどで繋がると僕が書くブログを読んでもらうことで相手の印象に残る。真剣に書けばそれだけ相手にも真剣に読んでもらえ質の高い返事やフィールドバックを貰えることがある。そうして人間関係が少し継続することに繋がり多くの人から色んなことを教えてもらえる機会を作ることができる。

自分の足で稼ぎ、人と会い情報を引き出そうとしたならば相当な時間がかかる。情報発信自体が直接人と会って話すことの代替にはならないが多くのチャンスを生む。仮に一つの記事のページビューが一晩で1000ページだとしてまともに読んでくれた人が5%だとしても50人に自分の考えを伝えることが出来たとしたらそれって結構すごい。過去に自分の留学する経緯をまとめた記事を書き65万ページビューを獲得したことがあった。その5%は3万2500人なのでこんな経験をしてしまったら情報発信から得られるメリットを軽視することはできない。

これらの理由で僕は情報発信をこれからも細々と続け小さいかもしれないけどできることからイノベーションを起こしていきたい。

キャリアデザイン × デザインシンキング by Meryeself(ミライセルフ)

そもそもデザインシンキングってなに?

ビジネスにおいて考えを発展させる方法として多くは「技術や既存ビジネスからの発展」や「市場のニーズからの発展」などに着目し論理的に発想する。一方でデザインシンキングは人間本来の視点から考えをスタートさせる手法でコンサルティング会社のIDEOやSutanford Design Schoolによって近年広められ話題になっている考え方です。

人間本来の視点を重視するためIDEOのコンサルプロジェクトでは案件が始まるとまずコンサルタントが実際に顧客のサービスを観察・体験し直感的なにを感じるのか洗い出す。ここで市場のニーズや技術的な実現可能性を考慮したアイデアを創出・発展させ試作・実験を素早くおこない試行錯誤を高速に繰り返しながら前進していく手法です。

UC バークレーのMBAクラスでもProblem Finding, Problem Solvingという問題解決のクラスで採用されています。

 

 Meryeself(ミライセルフ)のキャリアデザインシンキングワークショップ

デザインシンキングは不確定要素の多い未来に対してプロトタイプ(試作)を作りコミュニケーションを深め問題解決していく。キャリアに関しても不確定要素がものすごく多い。政治や経済状況、社会のトレンドによって仕事の機会は変動しそれを予測することはできない。その共通点からキャリアデザインとデザインシンキングを掛けあわせこれからのキャリアを考えるうえで必要な自分の潜在的な好みや欲求、強み、モチベーション、ビジョンなどを多角的に見つめ直し具体的なアクションに繋げることを目的に設計された。

Diverge and converge(分散と集積)やPrototype(試作)などの特徴がある。アイデアを考える際により多くのアイデア絞りだすdivergeやいくつか対立し葛藤するものをとき解くConvergeなどのデザインシンキングのアイデアがワークショップに織り込まれている。

Meryeself(ミライセルフ)はUCバークレーMBA出身の表CEOのスタートアップ企業。新卒者向けメンター紹介アプリMeryeself(ミライセルフ)や人工知能転職マッチングサービスMitsucariなどを手がける。人のキャリアに関して真剣に考える集団です。バークレーやサンフランシスコ、シリコンバレー等で複数回ワークショップを実施した。

 

モチベーション・動機について。

自分の好みや欲求を知り認識するだけでも今後のキャリアを選ぶ上で重要です。例えばどのようなモチベーションが自分のパフォーマンスを最大化するのか?を考える。

仕事や学問、スポーツをするうえで高いパフォーマンスを出すにはモチベーションが重要であることは皆気づいている。しかし何がモチベーションに繋がるかその為の施策をどうするかは人によって大きく違います。それに自分で思っていたことと客観的に見えることに乖離があることがよくある。心理学者のデビット・マクレランドによると4つの主要な動機が存在する。

  • 達成動機:自分自身で成し遂げたいという欲求:絶対勝ちてぇ〜と思ったり
  • パワー動機:他者をコントロールしたいという欲求:偉くなりてぇ!と思ったり
  • 親和動機:良い対人関係を結びたいという欲求:仲間に信頼され存在意義を出したい!
  • 回避動機:危険や失敗を避けたいという欲求:やべぇ、明日締切だ!!みたいな状況

ワークショップ参加者の一人は達成動機が重要だと自身で認識していたがアクティビティを進めていくうちに親和動機が本当は重要なのではと気づいた。その乖離を認識することで今までとは違う施策や行動をするなど改善するに至ったなど成果がありました。

まとめ

進路を考える時に悩む様に実際にキャリアを進めて行く途中段階でも多くの社会人が悩み立ち止まってしまう。通常自分一人で行うキャリアデザインを違う考えを持つ他者とグループで考えて行くことで自分一人では導き出せないアクションプランが作ることができるので多様性と集団で行うアクティビティには重要な意味がありました。たかが自己分析と思いがちですが体系的な自己分析手法を知ることは今後行き詰まった時に素早く次のアクションに繋げるためにとても有益な方法でした。