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変わりたいのに変われない。変われないのは自分のせいなのか?

5年間の留学を終え、日本に帰ってきた。もう僕は30歳で、留学前に「どうしたら変われるのだろうか」と悩んでいたのは24歳の時だった。もし今あの時の自分にアドバイスをするなら何て言うだろうか。そんなことを考えたことがある。留学した5年間で様々な人達と出会ったが、変われる人には共通点があった気がする。

  1. 集中できる時間を確保している。
  2. 常に行動しなければと危機意識を持っている
  3. 自分以外の第三者のためにも頑張ろうと思っている
  4. 地頭を疑っている

すぐに思いつくとろことしてはこの4つがある。それぞれで言いたいことがあるが、24歳のころの自分がもっともできていなかったのは「集中できる時間の確保」だったように思える。今、客観的に若手ビジネスパーソンの状況をとらえたときに時間を確保しづらいのは本人のせいだけではないということを言ってあげて、前向きに改善してもらいたいなと思う。

自分のせいでない理由は労働時間の細切れ化が一つある。一昔まえであれば、退社すれば一応自分の時間となっていたが、今はメールはいつでも返信できるし、資料作成などいつでもどこでもできてしまう。そのため、なんとか頑張ろうと思えば思うほど、スキマ時間などで仕事をしてなんとかキャッチアップするように頑張った結果、もしかしたら集中して勉強できた時間を色んなことをちょっとづつ考えてしまって、自分を変えるために必要な叡智を蓄積することには繋がりづらい。

それだけでなく、タイムリーな情報に追われる時代的な背景もある。昔と比較するのは馬鹿げているかもしれないが、以前は新聞を読んで情報収集していたが、今は24時間365日情報がスマホに届く。届けばきになって見てしまうし、そもそもタイムリーな情報を持っておくことが誰かに言われるわけではないけど求められる。これもスキマ時間を奪ってしまうし、せっかく時間を確保しても気が散る誘惑の一つとなる。

自分を変えるためには中長期的な時間の投資が必要だけれど、仕事を一生懸命に頑張るとどうしても短期的な時間の使い方をしてしまいがちなので、時間が確保しづらいし、できても集中できなかったりする。改善方法はベタなアイデアしかないけれど、時間を確保できたならば自分をオフラインの環境にすることは集中するために有効なやり方だと思う。また通勤などのスキマ時間をいろんな作業に費やすのではなくて、じっくり一つのことを考えたり読書したりする時間にすると意外と時間が確保できる。通勤に1時間かかるとしてじっくり本を読んだら一日2時間は確保できる。

24歳の頃の自分には変われないのは自分のせいだけではないことを伝えた上で、今頑張っている努力の矛先を仕事から時間投資にづらすことを伝えたいなと思った。あの当時の僕はまだ試行錯誤することになれていなかったけど、決して怠けていたからデキなかったわけではないし、同じようになやんでいる人もいると思う。努力するフィールドをちょっとだけ変えてあげることは重要だ。

知識を得るために必要な理解する技術とは

毎日ブログを30分以内で書こう!と決め、早速3日坊主になったが一日お休みしギリギリ復活させた。目標を設定し、その通りに進まなかった時は「やっぱオレってダメなんだな」と思うことが多いが、落ち込む前に、「なんで今回ダメだったのか?」とwhy?を自分に投げかけると少し楽になる。そして、少なくとも改善点を見出してもう一度アクションに繋げることが出来る気がする。さて、今回は理解する技術ってどんなものがあるかなーっと思い浮かぶものを書いてみる。

基礎から始める

出版をしてから高校などに呼んでいただき講演をする機会があるのだが、その時に「わからない時にどうすればいい?」と聞かれたことがあった。自分はいつも勉強していても「わからない」という壁にぶつかるので「どーすればいいんだーーー!」って思う気持ちはよく分かる。色々試してみて、結局、結局基礎が抜けていると理解できないということがわかった。

数学なんて典型的だが、いくつかのステップを飛び越して自分の知っている基礎以上の問題を解こうとすると確実に解けない。二次関数を知らなければ微分積分学はわからない。公式も仕組みもわからないから当然応用問題は解けない。歴史もそう。歴史は過去に起こったことがなんかしらの形で次の時代に繋がっている。例えば、マーガレット・サッチャーがイギリスの国営企業を民営化し経済回復させ、レーガン大統領も民営化を推し進めた。その後もその成功体験を元に新自由主義(市場はSelf-regulationが機能するを前提に自由化すべき)のチカラの元、アメリカ主導で民営化を世界に推し進め、至る所で悪影響がでたりした。(アルゼンチンなど一つの例だと思う)

基礎を知るということは、最初を押さえるということに似ている。映画を途中から見ると結構頭使って、「前半どうなってたんだろう???」って想像して仮説立てながら見る。それと同じような状況なので難しい。時間は無限にはないので、出来る限り基礎から始めて、それぞれの発展の繋がりを押さえると理解しやすくなる。

分解すればいい

理解できない瞬間の次の例は、一つの事象に複数のアイデアが詰まっている時にわからなくなる。例えば、「GDPってどうして税金が上がると下がるのか??」を考えたいとしたら、まずGDPを割ってみる。GDPは三面等価の原則があるから生産・配分・支出の3つに割れる。次に支出を割ってみるとC(消費)+I(投資)+G(政府消費)+NX(⊿貿易額)の4つに分けられる。Cは消費税が増えれば消費が減りそうだなと当たりを付けるとして、「でも税金で儲かった分Gが増えるのでは??」なんて分解していくと色々考えるべき部分が見えてくる。それぞれを調べてみると状況に応じて異なる答えが見えてきたりするので、一旦答えが見えてきたら誰かに共有して周りがどう考えたのか知ると更に学びになる。

なので、躓いたらとにかく「分解する」ことがヒントを得る近道だと思う。

わからなかったらやめればいい

それでもわからないものは、それ以上考えても殆どわからない。ついついぐーっとこらえて考えてしまうがそのタフさは素早く理解を進める上では邪魔をする。10分くらい考えてもわからない時は、潔く諦めてわからない部分を質問に変えて先生や知っていそうな仲間に聞くといい。

やれることをやってもわからない状態を続けることは悪だ。人に質問することは善だと思う。新入社員とかだと会社の文化で「ちゃんと考えてから聞けよ」みたいなこと言われるので、もうちょっと考えよう!って思うものだけど、自分なりに考えてわからないのであれば人に聞かねば前に進めない。会社とかだと一瞬嫌味言われることもあるかもしれないが、前進することができるなら、そこまで痛くない。

ある程度、理解が深まると次の課題は学んだことを長く覚える方法だと思う。これについては現在進行中で考えているが、また次回まとめてみたい。

フラクタル理論とキャリア

僕は時々親父とスカイプで色々話す。うちの親父はかなり勤勉な小さなおっさんで、経済やらITやらにやたら詳しい。僕が大学を卒業したあたりから、なぜか「お前も知っているよな?」という論調で会話をしてくる習性があってこの前は、「フラクタル理論って知ってるだろ?」と言われた。そして僕は「ん???」と答えた。

フラクタル理論とは幾何学の理論だそうだ。

細かな部分の変動の連続が全体を作り上げており、波の形が整数倍や黄金比に縮小されたり、拡大されたりして現れるとする理論。日本語では自己相似と訳す。自然界に存在しているさまざまな物象は、一見不規則な形をとっているが、拡大して見ても縮小して見ても、同じに見えるものが少なくない。1975年、IBMの数学者ベノワ・マンデルブロが提唱した理論。

つまり、大きな物体でも細胞のように小さなものも似た形状になることが少なくないということ。なんかそれってなんだかキャリアを考えるのと近いなぁーなんて色々考え始めてしまった。

スペシャリスト vs ゼネラリスト

フラクタル理論のようにどっちにしても同じ形状という点では、スペシャリストもゼネラリストも最終的には同じような知識の形状になるのではないだろうか。

大学の4年間をアメリカで過ごし、スペシャリスト、何かの領域のエキスパートになることを求められそれを前提に学んでいた。個人個人が何かのエキスパートだから他の人と共同で仕事をする価値が生まれる。例えば、仕事をバンドだと考えた時に、みんながギタリストだとバンドは成立しない。それぞれが異なる楽器を演奏する、異なる役割を持つから一緒にやる意味があり、バンドが成立する。だから周りと異なるスペシャリストになろうと皆奮闘していた。

でも一つのものを極めるには知識の幅も必要になる。仮に唯一無二のギタリストを目指したとしても、音楽の基礎は学ばねばいけないし、様々なジャンルのトレンドなどに関しては幅広い知識が必要になる。その幅広い知識があることで、始めてユニークなスペシャリストになれる。

一方日本では、幅広くなんでもこなせるゼネラリストが求められているように感じる。学問でもトップレベルの大学は国立大学で入学するために幅広い知識と思考力が求められる。企業でも、総合職という何でも屋から始まり、幅広く経験を積みゼネラリストになってからスペシャリストになる。

これは色んな楽器で演奏できるようになってから自分の専門を決めていく、そんな流れのように感じる。(でも大学では専攻を変更できないという矛盾があるが)

スペシャリストになろうとしても、ゼネラリストを目指そうとしても、基礎が必要で、幅広い知識が求められる。それでいて専門性を深める。どっちを目指しても逃げ道はなく広く学び専門性を高める必要があるという点ではフラクタル理論のように、それぞれが持つ知識を図化した時には似た形状なのではないだろうか。

キャリア構築とゼネラリスト

自分の人生にとってスペシャリストとゼネラリスト、どちらになるのがいいのだろうかと考えたことがあった。スペシャリストになるのは大変そうだからまずはゼネラリストかなと20歳の頃は思っていた。それを父親に話した時に親父は

「ゼネラリストとは、スペシャリストの領域がいくつもある人間のことを言うんだ。何か一つでもスペシャリストでないヤツがゼネラリストになんかなり得ない」

そう言われた。皆ゼネラリストの定義は様々だが、ゼネラリストという選択肢がスペシャリストになれないことから逃げ道になることはないのだと学んだ瞬間だった。

いずれにせよ幅広いことを学ぶ必要があるわけだし、複数の分野のスペシャリスト=ゼネラリストになれるようにこれからのキャリアを前進していきたい。

何から学べばいいのか。知識を得るために必要な「あたりの付け方」。

知識をつけるには「何を学ぶか」を決めることが最初のステップ。でもそれが一番難しい。一旦モチベーションがグワーッって上がると幅広い様々な知識を蓄えたいと思うもの。でも時間は限られているので、それはできない。ある程度あたりを付けてどの知識を習得するかを決めることができればいいのになんて思っていた。最終的は何かしらのあたりを付けて行動していたので、どのように行動していたかを思い出しながらプロセスを書いてみる。

まず自分と向き合う

僕は単純な人間だったので、誰かのアツい話などを聞くとモチベーションが高まり、勉強しようと思ったりした。でも想いばかりで、具体的に何をするかを決めることができなかった。「このモチベーションが冷める前に目標を決めてしまいたい!」僕が最初にやることはいつも自己分析だった。

自分の好きなことを書き出し、共通点などをまとめる。同じように嫌いなことを書き出しまとめる。強みや弱みの抽出。ざっと書き出す。次に、過去の行動を思い出す。特に進路を決めた時の当時の価値観と決めた理由を思い出す。例えば、とび職を始めたときは、早く家族を作りたくて、高卒で手っ取り早く稼げるには請負制度を使用して職人を採用している会社がいいと思い選んだ。自分の家族を作るということが自分にとってものすごく重要だと気づく。そんな形で自分がやってきた行動を一つ一つ見ていくとこれから自分が進むだろう方向性やヒントが見えてくる。僕の場合はなんとなく「教育」というフィールドっぽいなとあたりを付けることができた。

その道を進む人からヒントを得る

僕は教育というフィールドで働いたこともなければ、学んだこともない。でもやりたいし、ざっくり方向性にあたりを付けることはできた。僕が次にとった行動は、自分の知り得る範囲で自分の興味のある業界に関わりがある人からヒントを得る。当時の僕の場合は、サンフランシスコの領事館に務める友人が教育に関する仕事をしていたので、直ぐに彼のところに話にいった。

すると、「こんな面白い人がいるから紹介するよ」と別の方を紹介いただき宮城県の被災地である雄勝町にsweet treat 311という公益社団法人を紹介いただいた。そこでは被災地の子供に最高の教育機会を提供すると、廃校になった学校を改装して新しい学校を作っていた。ここで学校運営に必要な知識が幅広くあることを知った。

その教育を周知していくために必要なブランディングやマーケティング、コンテンツから学び・気づきを作るための認知科学、様々な学びの手法(アクティブラーニング等)、継続する仕組みとしてのコミュニティ作りなど様々なことが学校を作るのに重要であった。ここまでわかれば、一旦は独学でも深掘りすることができる。

このように、自分と向き合い、人と合うことで、自分のやりたいことに対するあたりを付けるとそれを実現するために必要な知識が見えてくる。

アカデミックな学びでのあたりの付け方

アカデミックな領域が決まった後にも、まだあたりを付けることが必要だと思う。学びはいくらでも細分化していく。自分がこれからやりたいことに役立つものかどうかが判断基準になる。どこにどのくらいの時間を使うかを考えながら勉強の計画を立てる。

バークレーで学んだことの一つに、すべては学べないというものがある。教授が毎回尋常ではない量の宿題(Reading)をだしてくる。その時に教授は「君たちはこれから、様々な問題を解くために学び情報収集をする。しかし、図書館にある本をすべて読み上げてから結論を書くことなんてできない。だからあたりを付けたり、必要なところを中心に読むなど工夫する必要がある。この量の宿題をだすのは工夫しないと終わらない量だからだ」ここで学んだことはバカ正直にすべて読まない、一から10まですべてやらねばならないものかどうかを自分で判断しながら必要なものだけ学んでいく。

アカデミックな学びを効率よく深める方法に関してはまたの機会に書くことにするが、何を始めるにも詳細までしっかりと理解し覚える前に、ある程度のあたりを付けてから行動することが限られた時間の中で成果を出すための学び方なのではないだろうか。

30分 One Articleの挑戦

ブログを書くことの重要性は留学時代に学んだ大切な行動の一つ。ただ、アイデアをまとめることに時間がかかったり、より良い文章にしようと思うと何度も編集して公開するまでに1週間以上かかることがある。今週の自分への課題として、30分One Articleという挑戦をしてみようと思う。これは文字通り一つの記事を30分以内で書き上げるという挑戦で、毎朝記事を一つ書いてみるというもの。今回のテーマは「技術」と「知識」について。

技術とは

まず純粋に僕が思ったことは「技術」と「知識」ってなんだか似たようなものじゃないですか?という疑問です。どう定義するかの問題だと言われればまぁーそうだよねですが、今まで僕は、なんとなくフワッと使っていた言葉であることは間違いない。

技術とは物事を匠におこなう技、科学の原理役立てて生産したり、組織したりする技とネットで書いてあった。技術が僕達が生きていく上で重要なことは誰でも用意に想像がつく。ではどんな技術を養うことが重要なのだろうか。

今すぐピンとくるものとしては、知識を蓄える技術だと思う。どの様に情報を収集し、編集するのか、時間をどう管理して知識習得に役立てるのか、その知識をどう使えるものにしていくのかなどだ。IT技術や科学の理論などは恐らく知識に分類される。これらを活用するためにどうIn PutしてOut Putするのかという実践的な部分なのではないだろうか。

知識とは

知識ってなんだろうと思うことが多々ある。学校で習うアカデミックなもの、自分の過去の経験から得られた教訓、自分の知らない情報などだろうか。一つの特徴は、教えても教えることが難しいということ。教わりたいと思う人の忍耐力や探究心などにかかっているので、簡単に教えて理解され定着するものではない。

オックスフォード英語辞典ではKnowledge(知識)をこう定義している。

  1. 経験または教育を通して人が獲得した専門的技能。ある主題についての理論的または実用的な理解
  2. 特定分野または一般に知られていること。事実と情報
  3. 事実または状況を経験することで得られた認識または知悉。

なんだか技術と知識が織り交ざっている感じ。ざっくり言い換えると毎日の生活から得られるゴシップてきな情報ではなく仕事や趣味などの専門的な情報だと言えるのではないだろうか。ここで知識というのは「仕事や趣味で活用する専門的な情報」だと言い換えるのであれば、その情報を得る方法は複数あり、うまく時間を管理して行動すれば効率よく知識を得ることができそうである。

知識を得る方法を共有する

知識が重要であることは簡単に理解できるが、「仕事や趣味で活用する専門的な情報」をただ知っているだけでは意味が無い。これを使って思考し、現実を疑い、行動計画を作れ、目標達成するために役立てることができる必要がある。そこには技術が必要になる。技術があって始めて知識が活きるのだと思う。

では具体的にどんな技術があるのだろうか。

  1. どの知識を得るべきか選定し計画する技術、
  2. 情報を理解する技術、
  3. 長期的に頭に定着させる覚える技術、
  4. それを活用するための技術

大きく分けると4つは最低あるように思う。30分 One Articleチャレンジではこれらをすべて書き出すことはできそうにないので、それぞれをひとつのテーマとして記事にしていきたいと思う。

 

 

ブログを書くか書かないか。とにかく書いてみる。

アメリカに留学していた頃にブログを書いていて、多くの学生から問い合わせがきた。

「どうやって留学生活を成功させることができるのか?」

僕の答えはいつも、

「ブログ書いたらいいですよ〜」

なんて言っていた。その理由は、ものすごく勉強に時間を割いていてもネットワークができるし、考えをまとめる機会にもなり学びが多いから。大学を卒業してからもブログは続けようと思っていたが、色んな理由をつけて行動を怠っていたように思う。そんな時にモチベーションを高めてくれる人に今日は出会ったので、とにかくそのことについて書くことにした。

モチベーションを上げてくれる人は日本で子供向け教育サービスのスタートアップをされているプロダクトマネージャーだ。とってもスポーティーで爽やかな青年といった風格。それでいて、会話はとてもプロダクティブ。ブログを書かれており、プロダクトマネージャーという明確なターゲットに対しメッセージを訴求し洗練された文章を書く方だった。

僕は彼から多くを学んだ。まず一つは家族がいる生活スタイルの中で頑張る習慣を定着させること。彼は奥さんと子供がいて仕事と家族の両立をしながらも日々仕事や自分の興味のあることに全力投球している。そのため、一日の睡眠時間を4時間程にし、それでも機能するように目覚めたらすぐに運動するなど様々な工夫をされていた。一方で僕は、奥さんがアメリカから日本に来て、少し鬱気味であったこともあり仕事以外の時間は奥さんとの時間にしていた。そのことを理由に努力を怠っていたように感じた。というかその事実に気づいた。

次に、彼の行動には明確な目的があること。彼の話を聞いていると彼の行動には常に明確な目的があり、その為に具体的なアクションを決めて行動していた。例えば、彼のブログ。文章を書く時に明確な目的を決めてから書き出す。エンジニアのチームメイトがエンジニアであれば当然しているべきである海外カンファレンスの情報をまったく知らなかったことに気づいたときに、「なぜエンジニアは海外カンファレンスなどの情報を知っていなければならないか」をテーマに書いたという。目的が明確な状態で行動することは、ビジネスパーソンにとって当たり前なのかもしれない。しかし、僕は文章を書く時にそこまで明確な目的がなく書くことが多い。特に学生の時は思いついたことをなんとなく書くことをしていた。それだから面白い文章が書けたこともあるかもしれないが、ビジネスの場面、つまり、継続的に再現性のあるアクションをするためにはそれではダメなのである。僕はまだまだ学生気分の甘ちゃんだと気づくことができた。

最後に、勤勉であること。彼の話を聞いていると勤勉であることがすぐ伝わった。その学びの内容は書籍やアカデミックなものだけでなく、人と会って話しをしなければわからないことが多かった。大学院の研究内容をビジネスに繋げるコーディネーターという職種があるが実際にはそれは機能していないであるとか、JICAの海外青年協力隊の内情に関することなど幅広い情報を持っていた。僕は最近、MBAの取得のためにグロービス経営大学院に通っている。しかし、MBAの内容ばかりでなく、人の経験や口コミでしか回っていない情報をキャッチするための行動をしなければならない。僕はその行動を完全に怠っていたことに気づいた。

僕にとってモチベーションを上げてくれる人は気づかせてくれる人だ。その方法は様々であるが、会話の中からその人柄や行動が見え、それが自分と対比させ奮い立たせてくれる。ストイックな生活だと思うがそんな人を見るとカッコいいと思う。そんなプロダクトマネージャーという名のアスリートのブログに興味ある方は是非。http://blog.yamotty.com/

人民元レートを下げるとなぜ中国危機が心配されるのだろう?少しだけ調べてみた。

最近、中国危機に関する記事が最近多い。IMFの特別引出権への採用が決まり世界の主要通貨になったとか、人民元のレートの引き下げが起きるとなぜそんなに世間は騒ぐのだろうか?適当に新聞を読んでしまうと、「これから中国の景気が悪くなるんだろーなー」とか、「金融市場を皮切りに金融危機がまた起きるのかなー」とかその程度しか考えない。

中国政府が人民元レートを下げることは何が問題なのか?どう中国危機に繋がるのか?ここまでの過程がいまいちよくわかっていないのでニュースが読めなくなる。問題を整理するためにできる範囲で調べてみた。

そもそも中国って景気いいんじゃないの?

中国は貿易黒字である。世界経済のネタ帳の経常収支推移を見るとリーマンショック前ぐらいまで回復してきている。

貿易収支成長率はものすごい:2011年1361億ドルで2015年には3477億ドルと4年間で250%以上伸びている。「景気よさそうじゃん」となるが、なんで人民元レート下げる必要あんの?と疑問がでてくる。そこには3つの問題があった。

 

問題1: 主要産業は莫大な過剰生産能力を抱えている。

高度経済成長期に企業が強気の設備投資をし、中国の主要産業、鉄鋼、アルミ、家電、自動車などで余剰設備ができあがった。政府は2008年の世界金融危機の時に需要を増やそうと財政出動し高速鉄道、空港、団地などの建設などを行ったが需要創出は限界があった。

過剰であれば減らせばいい。でもそうすると余剰設備の削減、企業淘汰・集約が起きリストラされる労働者が増え、景気わるくなる。合法的に解決する方法は「じゃー海外に売ればよくね」となり「そうしよう!」となる。その結果、海外輸出が増えた。鉄鋼輸出などは2倍になっている。

問題2:貿易赤字

「海外で売れれば問題解決じゃん!」と思うのだが、ここで人民元の問題が発生する。海外で売った商品をレートの高い人民元に変えると鉄鋼メーカーは貿易赤字になる。例えば、USドルと日本円で考えるなら、1ドル100円であれば、海外で稼いだ1ドルを円に換金しても100円。しかし1ドル80円だと20円分損をする。これが莫大な金額になると1億売って2000万失う。もし利益率が20%だとすると、その時点で利益なし。チーンってなる。

ここで中国主要企業が儲からないなら「レートを変えてしまえばいい!!」ってなるわけだ。レートは人民銀行のボタン一つで変えられるもの。儲かるラインまで下げちゃえーと思うがここで次の問題がでてくる。

問題3:キャピタルフライト

「よっしゃーじゃー必要な分だけ人民元レート下げちゃおー!」となった時に次の問題が起きる。「政府がレート下げる前に人民元を売っちまおう!」と思っている人民元保有者が沢山いるからだ。理由の一つに先ほどの貿易黒字がある。貿易黒字は輸出量が輸入量を上回ると起きる。中国の場合、人民元高の為、輸入が極端に減った為に起きている貿易黒字らしく、健全な黒字ではない。そのため自分の持つ資産価値が下がる前に売ろうと思う人が沢山いるのだ。だからキャピタルフライト(資本逃避)が起きる。※キャピタルフライトが起きる他の理由も沢山あるが難しかったので一旦省略。

過去タイ、インドネシア、韓国などは為替変動に伴うキャピタルフライトの影響で金融危機を起こしている。こうしたリスクが中国にもあるということだ。

「ふーっ、やっとぼんやりイメージが見えてきた。」だから既に経済を先読みしている中国人は日本や海外で不動産などの資産を購入したりしているのか。人民元高の間に買い物しようと「爆買い」なんて現象も起きているが、人民元レートが暴落したら終焉を迎えるだろう。

これ以上掘り下げると大変なので一旦このくらいで終わりにしたい。次は原油安に関する部分を調べたい。

2015年をグループで振り返り、新年の抱負と目標を立ててみた。

数ヶ月ぶりにブログを書くとちょっと緊張するが、2016年は昔みたいに思い立ったこと、クソみたいなアイデアでもどんどんアウトプットしていこうと思う。気づけば2016年始まってもう半月。思い立った時に書かないと一生始まらないので1月2日に行った2015年レビューについて普通の日記を書きたいと思う。

2015年Review

ちょうど年末に「40人のビジネスパーソンが絶賛した「1年の振り返り方」完全マニュアル」という記事がフェイスブックなどで回っていて、バークレー時代の友人が「やろう!」と言い出したので新年早々真面目に2015年レビューをした。

内容は一人1時間で2015年の活動をストーリーの様に語っていき、まわりのオーディエンスが内容を深掘りできるような質問をして理解を深めるというもの。

  • 「なぜそんなことをしたの?」
  • 「その後どんな心境になった?」
  • 「それ以外の方法はなかったの?」

などなど。

予習としては各自が紙に3ヶ月ごとの自分の状態をメモし、大きなイベントやどれくらい注力したかを矢印で表したり、キーパーソンの名前を書いたりして当日ストーリーを話せるように準備する。下記が殴り書きで書いた僕の予習レビュー(ペン習字の効果が1ミリもでていないのが残念)

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メンバーはバークレーMBA卒業生と学部の先輩である社会学専攻の卒業生の3名。当日は朝一で渋谷のファミレスに集まりテーブルに大きな模造紙を敷いてコメントやメモなどを書きながら進めました。いまいち模造紙の使い方がよくわからなかったが、皆それぞれの課題や悩みを深掘りし自分一人では気づけなかったポイントを持ち帰れて満足いく内容だった。

2016年の目標

3人共考え方が似ているのか、結論が「やっぱりハッタリこいてでも高い目標を置いて自分を目標に合わせていくくらいでないとダメだ」という結論になった。

自分も2015年は大学卒業、結婚、帰国、出版、就職、講演など達成感と新しい挑戦の両方があった年であったが、日本に帰ってきてから少し守りに入っていた様な気がしていた。昔は周りにどう思われようが先に行動していたのに、そのスピード感が減ってきていてブログすら書くことが少なくなっていた。

日々の仕事や出版関連の講演がルーティーン化し、それに追われてインプットが減ったり、勉強してもアウトプットが少ないから身になっていなかったり、忙しく疲れるばかりで年末はあまり楽しくなかった。

レビューを通じて気づいたことは、自分の周りで僕のことに興味を示してくれる人は皆、僕が「能力がないのにとりあえず行動し、全力で取り組んで、無理やり結果を導き出そうとする姿勢」だったようだ。あぶねーあぶねー、結婚して守りに入りそうになっていた。そんなスピード感が売りなのに守りに入っていたら存在価値ゼロだなと思えたのは良い振り返りであった。

当然仕事などきっちりやるところはやるが、ペーペーならペーペーなりのやり方でガンガン進み、自分のショボい能力から逆算して目標を設定したり行動することはやめようと思う。

とりあえず目標はできるところから、毎週ブログを書く。

 

 

自制力を養うために2つの異なる自分と向き合う。「やる」か「やらない」かは自制力で決まる。

何か新しいことにチャレンジしようと思った時、今までやってたことを止めなければいけなくなる。行動に起こすためにはやめる自制が必要になる。例えば、社会人が

「もう一度勉強しよう!」

と決めた場合、仕事終わりに行っていた飲み会をやめて勉強に時間を割く、といった具合に自分をコントロールできなければ何も始められない。何か「やる」ためには、今までやっていたことをやめなければならず、そこには自制が必要になる。

異なる自分、天使と悪魔

頭で考えると簡単だが自制を保つことが一番難しい。それは本能という名の悪魔が住み着いているから。僕なんかは動物的な性格なので魅力的なものが目の前にあるとすぐ飛びつきたくなる。うまそうなものがあれば躊躇なく食べるし、ぱっと見ただけで直感的にかっこいいと思った服を衝動買いすることもある。どうでもいいことなのに集めだしたら止まらない収集癖など本能のままに行動する自分がいる。

一方で、自制させてくれる天使的なヤツも近くて、こんな自分を止めてくれる。特に未来を考えたとき。うまそうな食べものを見ても「これ不健康だな」と思って食べなかったり、衝動買いする直前で「もっといいモノに使った方がよくね?」と考え思いとどまることもある。

自分がやろうと思ったことが出来なかったり、やめようと思ったことをやってしまうのは仕方のないこと。重要なのは自分の中に2つの異なる行動パターンが存在することを認識することだ。ここから改善策を考えればいい。

本能を活用して勉強法を工夫する

僕の本能的な行動で収集癖のような特徴があった。英単語を覚える時にこれを活用して勉強したことがある。やり方は至ってシンプル

「覚えた単語に黄色のマーカーを入れる」

これだけ。普通は重要なポイントをわかりやすく示すためにマーカーを使うが、このやり方に変えるとなぜか、単語帳を黄色にしたい!という収集癖的な感情が生まれてくる。感覚としては携帯ゲームで意味なんてないけどなんとなく「ここまでいったらやめよう」と思う達成感とにている。

自制力は鍛えられる

次に自制力は鍛えられるということ。自制力は前頭葉の働き。スタンフォードの健康心理学者のKelly McGonigalの著書にも脳は変化すると書いていた。”繰り返し行うことは脳にとって容易になるだけでなく、それに併せて脳じたいが変化していく” つまり最初は自制が効かなくても、脳が変化して自制が効くようになる。

僕は大人になってから自制力が強くなった。留学を機に中学1年から吸っていたタバコをきっぱり辞めたり、朝勉強の時間を確保する為に2度寝、3度寝しながらゴロゴロしていた朝の行動を辞め直ぐに起きて単語覚えるなど行動を変えることにそこまで苦労しなくなった。これは大人になるにつれて自動的に鍛えられているわけでは当然なく、モチベーションがめちゃくちゃ高い時に行動してある程度習慣化したことでKellyさんが言うように”繰り返し”を行えたことが自制力を鍛えるのに繋がった。

ちなみにKellyさんは瞑想 Meditationをすることで自制心が鍛えられると言っている。”ある研究では瞑想の練習を3時間行っただけで、注意力と自制心が向上するという結果が見られた、そして11時間後には脳に変化が現れた”。これだけ簡単に脳が変化するのだとしたら今からでも遅くないと思える。

ただ、これは僕の意見だが、それだけ簡単に脳が変化し鍛えられるなら、やらなければ簡単に自制が効かなくなっていくということだと思う。何か新しいことを始める時に行動して失敗するリスクや成功しないリスクを考えることは多いが、やはり行動しないリスクの方が圧倒的に高いのではないだろうか。

 

執筆後記。バカヤン 鈴木琢也

2015年10月5日にポプラ社さんより出版させて頂きました。素人の僕が本を書くという貴重な経験ができたことはとても嬉しく思っています。

きっかけは留学日誌をブログに上げていたところから始まりました。どうせ地元の友達以外、誰も見やしないから思いついたことをどんどん書こうと決め、めちゃくちゃな英語で文章を書いたり、つまらない日記を書いていました。人間ってすごいもので少しづつ慣れてきて「ブログ面白いね」なんて言ってもらえるようになり、嬉しくて何がウケるか考えながら思いついたことを書いていました。

自分の過去の経験談を今書いておいたほうがいいと友人にアドバイスをもらい一年前の夏に過去をしっかりまとめて共有しようと目標を立てSTORYS.JPにアップしたところ話題になり、現在では73万ものページビュー獲得し、そんな中で出版社さんから執筆の話を頂いたのです。

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執筆作業を開始した当初は

「とにかく全部吐き出してください!沢山書いてください」

と言われたので細かく色んなエピソードを書きまくった結果

「書きすぎですよ!」

なんて言われそこからどのエピソードを本に入れるか、どんなことを伝えたいか考え編集作業を出版社さんからお手伝い頂きながら1年かけて作り上げました。執筆期間はまだ学生であったのでたまにスカイプで出版社さんと打ち合わせをするのですが、「表紙これで決まりました!」とか「タイトルこれで行きましょう!」とか気づいたら決まっている部分もありましたが本の内容はすべて自分が取り仕切り書き上げることができ、実際に形になった時は達成感がありました。

ただの留学記から始まり、本という形に残せるところまで繋がったのは運も大きいですが、やってみることって重要だったなと振り返ると思います。やる前は「無理でしょ」と思うけど、やりながら段々形になってきて「なんかいけそうな気がする」と変わる経験をこのブログでも味わいました。

最後に

この本に色んなメッセージを込めました。その一つは「あとがき」にも込めてあるので、あとがきをここで共有します。なにやっても失敗ばかりするけどそこで終わりではなく試行錯誤を繰り返すことで前進できる。そう思ってもらえれば、失敗することに対する意識が変わり生きやすくなると思っています。以下あとがき。

 

ぼくは優秀な子どもではありませんでした。

学力以上にツラかったのは、友だちをつくるという能力が欠けていたところです。だから ずっと友だちができず、嫌われました。「なぜ友だちができないのだろう」と毎日考えていた のを覚えています。「こうしたらいいのでは」と自分なりに考え、周囲との接し方を変えてみ ましたが、まるで上手くいきません。

「そんなやり方じゃ、上手くいかないよ」

いつも誰かにそう言われていたような気がします。 たまたま中学で見つけた解決策が、不良の仲間になることでした。あまりホメられた過去で はありませんが、そこで大切な友だちと出会うことができたのです。その後、親父の背中に魅 せられて営業の道に進み、アメリカに留学したのですが、基本的な性格は、今もまったく変 わっていないと思います。

「こんな風になりたい」

自分が願うたびに、必ず壁にぶつかり、つまずいてしまう。 「そんなやり方じゃ、上手くいかないよ」 という声が聞こえても、自分でやりたいようにしかできない。 子どもの頃と同じです。 でも、はっきり違うところが一つだけあります。 今のぼくには自信があるのです。

相変わらず、つまずいてしまうことだらけですが、気になりません。 きちんと努力をし改善し続ければ、それなりの成果を出すことができると信じているからで す。あきらめてしまったら、つまらない。いつからだって、泥臭く努力をすれば絶対、前に進 める。そう思えるようになりました。

もちろん、まだ迷うこともあります。 でも、優秀の尺度は一つじゃないことをバークレーで学びました。膨大な知識だけでは、創造的なことはできません。そこには感性や決断力、そして泥臭いトライ&エラーを繰り返す忍耐力といった、目に見えない能力とユニークな才能を持った多くの人々の協業が必要だと思います。

だから、これから先も、ぼくは己の道を突き進むつもりです。そして誰とも違う、ユニーク な存在になりたい。そうすれば、まわりと協力しながら上手くいくでしょう。そう信じること ができるようになって、本当の自信がつきました。