Latest Posts

毎日の変化をブログに記録しようと試みた結果、ブログじゃないとわかった。

昨日の朝に、ブログを朝と夜に書くことで一日の中から何かを学び取ろうと意識する取り組みをした。結局、夜にブログを書くことはできなかったが、意識しながら一日を過ごしたので多少の学びはあったと思う。

ただ、内容がつまらないのでわざわざブログに書き記す必要はない。なので、その手の内容はメモ帳に記すかGoogleカレンダーに記録すると良いと思う。

昨日の反省内容

  • こだわり過ぎるた挙句、作業の手戻りが発生したときに非効率になる
  • 夜にやりたい作業を残すと結局家族の時間を優先するため後回しになる

この程度の内容なので、カレンダーに記載することにした。

Googleカレンダーに記載してみた

Review該当日の一日の計画を入れるところにReview:作業効率化と記載してみた。

なるべくどんなReviewなのか一言で言えるようにまとめて記載。詳細の箇条書きはスケジュールの説明欄に書いてみた。

箇条書きで書いた内容も、本当は「こうだったから、次はこうする」とアクションに結び付けて書く方がいいのだが、次書くときはそうしようと思う。

あと、今思いついたのは、学びのメモをそもそもGoogleカレンダーに書いておけば二度手間にならないと思うので毎日Reviewって項目を作って、課題や学びがあったらそこの説明欄に書いてしまおうと思う。

数年ぶりにブログを更新してみた

最近の悩み

日々の忙しさで毎日をちゃんと生きれていないような気がしている。ちゃんと成長を実感できずに年を取ってしまうことが悩み。なので、朝一番に今日の意気込みを書いてみることにした。

意気込み

とは言ってみたものの、今日の目標どうしよかな。今日の目標は、一日でなにを学べたのか、いまこの一瞬では何を学んだのか意識しながら生活し、一日の終わりにブログを書いてみようと思う。

心境

とりあえず、思いついたことを書いてみたけど、本当にできるかな。。Wordpressの仕様も変わりすぎてて慣れない。。でもとにかく思いついたことをやってみることが大事なのでとりあえず今日はこれで行こうと思う。

朝のちょっとした目標設定

2015年にアメリカから帰国して日本の教育に約4年ほど携わった。そこで学んだマーケティングの力を武器に転職し今はアクセンチュアで働いている。

コンサルティングの仕事はタスクをこなすという意味ではやることはあるが、基本的には何をいつまでにやりきるかを自分で決めるし、やり方や時間配分は自分の能力次第なので、日々の目標設定をしないと忙殺されて一瞬で一日が終わってしまう。

朝起きてふと、「今日はなにをしようか」と思う瞬間があり、朝の10分で目標を設定した。毎日成長でいるが、日々の成長なんてたかが知れている。でもこれを毎日もてるかどうかが1ヶ月後の成長に大きく差がでると思う。

勉強の目的はどう探す?

勉強を始めたわけ

Q:なぜ不良だったのに突然勉強しようと思ったのですか?

A:一番キライだった父親が私を変えた大きなきっかけになりました。

外資系生命保険会社で営業をしている父が16年努力した末に表彰されることになり、表彰式に参加しました。そこで色んな人と出会い、話を聞いていると「トップセールスは2億も稼いでいる」とか、「仕事に情熱こめて社会をよりよくしていくんだ!」なんて話を聞いて、すごく驚きました。

当時、とび職をしていた私にとっては無縁の世界。でもせっかく働くなら、父親と同じくらいたくさん稼ぎたいし、やり甲斐を感じる仕事がしたいなと単純に憧れたのが大きなきっかけでした。

勉強方法について

Q:一念発起してからどのように勉強をはじめたのですか?

A:まずは、身近な両親にたくさんアドバイスをもらいました。でもすぐに猛烈に勉強したわけではなくて、その後少しずつ父親や母親と「なぜ親父は仕事がうまくいきはじめたのか」「成功とはなにか」など質問しているうちに、両親がどれだけ粘り強く努力していたのか、家族への思いや愛情があることを知りました。そして、キライだった両親のアドバイスを本気で受け止めることができるようになり、「親父が言うようにおれも勉強しよう」と思ったのです。最初は漢字が読めなくて苦労しました(笑)

成長するために必要なこと

Q:新たな挑戦をはじめるうえで、自分を成長させていくために必要なことはなんですか?

A:自分にとって大切なストーリーを持つことが大切だと考えています

私は、もともと怠け者な性格です。突然変わろうと思ってもそう簡単にはかわれませんでした。しかし、父親の努力に触れることで、影響され、私の中に「親父の背中」を追いかける自分というストーリーが始まりました。

きっかけを得て何かを始めることは簡単ですが、それを続けることがとても難しい。そこに自分にとって大切なストーリーを持つことで、常になぜいま行動を起こし始めたのか、周囲からはどんな期待を受けてそれに応えようとしているのかを考えさせられます。そのプレッシャーをテコに行動しつづけることができました。

突然ストーリーが降りてくることはないので、身近な人や自分にとってとても大切な人にインタビューするように色々と話しを聞いてみることをおすすめします。普段は気づかないその人の影の努力や自分に対しての期待があることなどを知り、もっと頑張らなきゃと思わせてくれることがあります。

三日坊主は悪いことなのか。三日もかけないで判断することはもっと大事。

なにかに取り組み始めると必ずぶつかる壁がある。「どうしたら継続できるのか」、「どうしたら成果につながるのか」と考えてしまうことだ。こうなった時に自分の行動を止めずにドライブかけるにはコツがある。三日坊主は悪くないと思うことだ。

僕は子供の頃、よく小学校の先生に三日坊主になってはダメだと教わった。だから三日坊主は悪い言葉だと認識していたが、その考えを変えるようになってから前進しやすくなった。いざ行動すると必ず不具合が沢山でる、そんな経験をした人は多くいると思う。なんだかうまくいかない、続かない、成果いくら頑張ってもに繋がらないなど。こんな非効率なやり方ではもうだめだ。そう思う。うまいこと勉強して成果に繋げている人はなにをしているのか?そんな疑問をいつも抱いていた。バークレーで勉強していた時にはよくデキる人と話しをして今どんな勉強をしているのか、過去とはどう違うのかよくインタビューした。ここで理解したところは、今成功している人も非効率なことを経験しているということだった。また自分なりに工夫しながらやってみると、継続する力は筋肉のように少しづつ付いて来ることもわかった、最後に成果に繋がらない時は自分に合ったやり方かもう一度疑うことも大切でこの3つが必要になってくることが見えてきた。

  1. 成功している人も必ず非効率なことを経験している(成功するための一つのプロセスであること)
  2. 継続する力(制御力)は筋肉のように着く
  3. 成果がでない時は自分に合っているか考える

成功している人の非効率な経験が表にクローズアップされることは少ない。なぜなら、皆、成功した方法やうまくいった理由に興味があるからだ。しかし、自分にとっての良い方法にたどり着くまでには沢山の失敗がある。数名のバークレーの学生にインタビューをしたことがあった。僕はなんとか成績を上げてバークレーで勉強したかった。退学したくなかった。すがる思いで僕の周りの友人へ質問した。

「どうやって勉強しているのか」って。

そしたら、今でこそ、勉強は得意だと本人が言っているが、そんな彼女ですら過去は自分なりの方法にたどり着くまでに試行錯誤していたと言う。非効率な状態を認識しても、これが一つの進むためのプロセスだと思って冷静に、客観的に現状を見ていた。以前の僕は、成果に繋がらなかった時に、失敗の原因は非効率なやり方をしているからだと思っていた。それでも三日坊主で継続できないことが原因なのかもしれないと考え、その非効率な方法をある程度やり続けることもあった。継続するべきかやり方を変えるべきか悩んでいた。でも彼女達のインタビューがヒントになった。彼女達はうまくいかないと思った時には素早く試行錯誤していた。何度もやり方を変えると当然それ自体が非効率感を生み出すがどんどんやっていた。うまくいかない、非効率だ、失敗したと思ったものをどうしたらもっと良くなるのか?そう考えて色んなパターンを試していた。その経験の中で、これはいいぞ!と感じたものを継続させていた。そのいい方法も自分の成長に伴って合わなくなったりするので、その度にまた試行錯誤して今の自分に合う方法を見つけて日々工夫していた。

偉人と呼ばれる人も、度重なる失敗から成功を導いている。トーマス・エジソンは1000回の失敗から電球を産み、1000回のプロセスを経て電球を発明したと言ったらしい。本田宗一郎も成功の裏側には数え切れない失敗があったと私の履歴書に書いてあった。今となっては思う。三日坊主でいいじゃないか。その代わり三日以上継続できるものが見つかるまで何度も試行錯誤すればいい。どんな課題も解決できる魔法の方法なんてない。でも僕はいつもそれを探すかのように色んな方法を調べて試していた。環境変化に対応するためにも自分の変化を捉えてより前進するためにも三日坊主という言葉にとらわれず高速で試行錯誤するようにしていくことが今直ぐできる改善だと思う。

学校の価値は教わることではなく、圧力を跳ね返す場であること

自分を変えたい!具体的には論理性と先見性、学び取る能力を養いたい!そう思ってフルタイムの学生になることを24歳の時に決めた。最終的には世界一の公立大学UC Berkeleyという大学を卒業した。その結果わかったことは、僕にとっての学校の価値はプレッシャー(圧力)を販売しているところだと思う。

僕の元々持っていた学校とは何かを教えてくれるところであった。でもそれは本来の価値ではないことに世界の名門校で学ぶことで気づいた。トップ校は常にその学校の評判やブランドを元に世界中から沢山の学生を募集する。学生達は学力があることはもちろんだが、Mental toughness の高い人が多かった。トップスクールでは必ずとんでもないボリュームの宿題や課題をやらされる。そのボリュームをこなすにあたって、普通にやっていてはダメだ、もっと効率よくやらなければと頭を使うようになる。また、学び方も時間の投入仕方も異なっていく。このように自発的に行動したいと思わせる環境や仕組みを整えること、それに応えることができるタフさを持つ学生を世界中から集められる集客力があるこの2つが重なって価値が最大化するように思う。

アメリカの大学すべてがいいわけでは当然ない。少しレベルの落ちる大学では、大したボリュームを学ぶことはない。コミュニティ・カレッジでもそれは同じである。実際に勉強している時はそれはもう大変だったが、絶対に無理だなと思う程の量を出されることは稀だ。もしそういった大学で過大な量の宿題を出すと生徒はついてこない。落第する学生が増える。結果的にクレームに繋がることもある。プレッシャーを与え、授業で発言させ学生の能力を引き出するのは簡単ではない。講義をするだけの教えることに徹するのは簡単だ。一方でトップ校の場合は、講師は質問を投げかけることに力をいれる。授業で学ぶようなことは事前に教科書などで学ぶことができる。それだけでなく、関係する背景や歴史についての書籍を数冊読み込み講義に挑む。それによってアクティブラーニングが成立する。講師の様々な角度の質問に対して複数の変数を使って返答することができるようになる。それによって自分では見えていなかった視点に気づくなど一人で学ぶ以上に価値のある学びがある。

そしてその先に僕達がやることは、自分たちの考えやリサーチで自分なりに事象を表現したり説明しようと何かを創出する活動に時間を費やすようになる。そのためには、教授やティーチャーアシスタントなどにこちらから質問したり、助言を求めるのだ。答えのある議題ではないので、教授の助言も「そのテーマであれば、この書籍が役に立つかもしれない」とか「こんな研究が過去にあった」など過去の知恵を共有してくれるだけで、あとは議論を一緒にしてくれる。それだけだ。

留学の計画を立てた段階では学校の価値がプレッシャーを買うことであることなど当然気づいてなかった。しかし、真の学校の価値は自分一人では作ることのできないような強いプレッシャーをくらうこと。それを跳ね除けようと努力することで、限界以上の能力を作ろうと行動することができ、次第に変わっていく。結果的に変わるのだと思う。

目標設定は楽観的に、計画は保守的に

留学体験をスピーチする機会を昨年は沢山もらった。その中でよくある質問は、「なぜ自分の身の丈を超えた目標を立てられたのですか?」という内容だ。たしかに、普通は自分のレベルから逆算して目標を設定する。例えば、偏差値が60だったら、それより少し高いところといった具合。僕が高い目標を設定したのは家族へなんとか貢献したいという思いがあったから、ときなく「てっぺん」目指そうと思えた。実際にそれを実行してわかったことは、目標設定は出来る限り無茶した設定をし、その目標を達成するための計画は保守的に計画することが、自分を飛躍的に伸ばすことに繋がると思う。

例えば、東京大学受験する目標を立てた場合、センター試験8科目、二次試験5科目が必要となる。これを具体的に各教科どれくらいの準備をいつまでにするか、毎日なにを勉強する必要があるかなど考える。また、第一志望の東大が無理だったら、次はどこに設定するのか、等も含めて考えていく。大学受験は入試で日本中にいる競合(何年も前から準備してきた強者)の中で上位にいなければいけない。勉強経験の低かった僕は準備に2年〜3年程かかりそうだ。当時24歳であった僕にとって2年の受験期間と4年の大学で計6年or 7年経つと30歳、31歳になるため、それはやりすぎだろうと感じた。そのため期間は5年と決め他の選択肢を検討始めた。

そこで出てきたのが海外大学の入試システム。海外では知力と人間力の双方を評価するため、今までやってきた経験がアドバンテージになる可能性がある。その代わり、授業そのものが英語で行うため語学力のハードルが高くなる。また、費用が莫大になるため通常は選択することができない。幸い僕は父親のビジネスがうまくいっていたという大変恵まれた状況であったため、この選択肢を検討することができた。また、アメリカのカリフォルニア州では、編入システムが確立されていて、2年生の短期大学(コミュニティ・カレッジ)で高い成績を収めることで3年時に4年生の大学へ編入することができる制度もある。編入先でトップの大学がUCバークレーであった。

こんな経緯で楽観的な高い目標を立てたわけだが、計画は保守的に行った。まず5年のタイムリミットを設けていること。次に語学の面でコミュニティ・カレッジに入学できるかだが、TOFEL45-60程が求められる。当然その勉強をするのだが、それだけだと時間通りに進める保証がないので、念のために語学学校に通う。その語学学校では、一定のレベルを超えると提携先のコミュニティ・カレッジにTOEFL免除で入れるというものだった。結局提携先でないBerkeley City Collegeに入学したが、常にPlan Bを持つようにした。

次は大学で成績がとれるかどうかだが、これに関しては予習復習など勉強をするためのタイムマネジメントを徹底しカバーするほかなかった。予習と復習の時間を必ず授業前後に設けたり位、自分が実際に使った時間を計測したり、一日の目標勉強時間を14時間に設定し勉強しつづけた。

また、不合格になった場合、Plan B, Cを沢山考えた。UC系の大学はBerkeley、UCLA、San Diego、Davis、Santa Barbaraなど10校ある。Berkeleyがダメだった場合UCLAやSan Diegoなど別の選択肢も当然持っていた。BerkeleyやUCLA以外のUCに進学した場合、会計クラスを履修して米国公認会計士CPAの取得を計画し、専門性を養うことなどPlan B計画を検討し、最悪どの大学にも入学できなかった場合は、きっぱり3年で留学を終了して日本で再就職をするつもりでもいた。短期大学を終える段階で学ぶ為に必要な基礎知識と学習をすすめる基礎体力を養えていると判断していたからだ。

その他にも行動しながら、計画を変更したりより年密なスケジュールを立直したりしながら試行錯誤した。安全な目標と計画では、飛躍的な成果を出す可能性がほとんどなくなってしまう。だから、目標は一度高く置いてみる。そして計画に無理があるようであれば、計画を多少変更しそれでも無理であれば目標を修正する。軽い気持ちで置いてみた目標を逆算していくと「意外といけそうだな」と思う瞬間がある。自分自身がそう思えたら、達成できる可能性はそうとう高い。あとはやるだけ。

将来求められるスキルってなに?

キャリア本などを読むと「自分がやりたいことだけでなく、ニーズの高い人材ってなにか考えよ」的な内容をよく目にする。今から将来価値のある人材になることはできるのだろうか。色んな経験や知見があれば想定できるかもしれないが、少なくとも僕は何がその「求められる人材」か予測できない。極端な例だが10年前にiPhoneアプリのエンジニアのニーズが高まるなんて想像はつかなかった。となると普遍的な能力鍛えたほうがいいなと考えてしまう。では何が普遍的な能力だろうか。それは「学び取る能力」な気がする。どんなに世界が変わっていっても必要とされる能力を学べちゃえば生き残れる。

新しいことを学び取る力はどうしたら養われるのか。昔僕はなぜデキる人ってめちゃいろんなことを知っているのだろうかと思ったことがある。最近わかってきたのは、彼らは過去に色々学んだから覚えているだけではなく、日々学び続けているということだ。錯覚してしまいやすいのは、ぱっと見では知識をずっと蓄えている人のように見えてしまうこと。でもそんな人は誰もいままで考えていなかったことをメディアや書籍から素早く学び、自分の意見を持っている。学び取る力のある人の共通点は2つある。

  1. 論理思考力がある
  2. 基礎知識がある

論理思考力があると、問題が何か細分化して考えなにをどの情報は知っていて、何を学べばいけないかすぐにわかる。何を学べばいいかわかっても、基礎知識が少ないと学び取るのに時間がかかる。例えば、政治経済の問題に関して自分なりの意見を持とうと思ったとして、何も歴史を知らなければ仮説を置くことも難しい。数学などは基礎の計算方法がわかならければ先に進むことすらできない。でも頑張って努力して結果、徒労に終わる。

UC Berkeleyでも論理思考を鍛えるために教授からは浴びるような問を投げかけられその場で考える。トレーニングの場を出来る限り作っていた印象だ。そして、基礎を飛ばして進めることはしない。その代わり学ぶ量が膨大になるけれど、終わってから新しいものを学ぶ時の時間が短くなる効果はあった。

「学び取る力」という無敵の力を得れば色んな環境変化に適応できる。そのベースには論理思考と基礎知識があるのではないだろうか。あとは学んだことをどうやって使うか。アウトプットするかという次の次元がある。僕は学生を終えて仕事を始めた時に今やらなければいけないのは学んだことを使うことだと思った。

考え方をかえることで行動力がつく

勉強や仕事、常に上には上がいる。自分よりも「デキる人」見るとすごいと思う。でもそれが同世代や年下だと運とか地頭がいいとか思う。正直こうやって思ってしまったことがある人は僕だけではないと思う。本当にデキる人は元がいいのだろうか。この疑問についてはいろんな考え方がある。ではもし、元の違いがあるとしたら、元が悪い自分達はすべてを諦めるのだろうか。たぶん僕は諦めたくない。デキる人程は成長できないかもしれないけど、今の自分より成長したい。そんな思いで留学し、世界一の公立大学といわれるUC Berkeleyで勉強した。そこでわかったことは、僕が思っていた「デキる人達」ですら同じような経験をしていた。自分は天才ではない、だからもっと努力しなければと思考していた。

デキる人達は「天才ではないから、自分で考えて試行錯誤しなければ」と行動していた。僕は成績が伸び悩んだ時にデキる学生にインタビューしたことがある。すると皆、過去に無駄かもしれないけど多くの時間を費やして勉強した経験を持っていた。その経験から自分なりの勉強方法について試行錯誤を繰り返し続け今があると言う。また、その試行錯誤の内容の一つに体系的に基礎を飛ばすことなく学んでいることも共通点だった。このように考え諦めずに試行錯誤を繰り返す、自分の知らない基礎をしっかり学ぶ。この2つをするためにしっかりと時間を投入する。これがデキる人と周りから思われている人の行動だった。

これは仕事においても似ている。仕事がデキる人の多くは過去に経験をしていることが多い。まったくやったことも考えたこともないものをすぐにパッとできてしまう人は極稀だ。上司が的確に自分の悩みを言い当て、最適な指摘ができるのも過去に経験をしているからだろう。

僕達がやらなければいけないことは一つ。行動することだと思う。でも「地頭がいいからデキいるんだ」と考えてしまうと行動力が落ちてしまう。それに思考も停止してなんでその人達ができるのか考えられなくなる。地頭のせいにしてしまうことで努力を怠るから、まずはそこを疑うことが重要なんだと僕は思う。

 

危機感を行動につなげるには?

今まで僕が知り合った意識高くて、自分を変えていく人って常に危機感を持っていた。でも、やらなかいけないなーと危機感を持っていても行動に繋がらないときの方が大半だと思う。どうやったら危機感が高まるかを振り返ったことがある。自分の経験も含め、危機感を行動に繋げた人の例を思い出してみた。

僕がその危機意識を高めた大きなきっかけはリーマン・ショックであった。ペーペー営業は気合と根性で数字を作っていたが、尋常じゃない金融危機の影響で普通の案件はすべてキャンセルになった。僕は当時、CADというシステムの使いこなせるエンジニアを製造業の設計開発部門へ派遣することがメインのミッションだった。派遣労働者の削減は企業が真っ先に取り組んだ施策で、仕事を失った労働者が日比谷公園に集まり年越し派遣村ができたことが派遣営業にとっての厳しさを表している。そんな中でも電気自動車などコア技術に関する案件を持っていた先輩は成績を残していた。僕と先輩の圧倒的な違いはなんだろう。今の僕がこのまま成長しても彼らのようにはなれないことが強い危機感となっていた。このままではまずい。今から何か準備しなければ。この危機意識が「変わろう」と思う最初の動機であった。

ある女性の例では目の病気があることが発覚した。将来的には目が見えなくなるかもしれない。そう思い見えるうちに好きなことをしなければと行動に移し海外で働いてみたいという彼女の夢を叶えるため行動に移した。そこから改めて英語を勉強し、海外のビジネススクールで学び現地の投資銀行でインターンシップをするなど、キャリアを大きく変更した。現在では、プライベート・エクイティファンドで証券アナリストとして働いている。

僕が尊敬する、建築士の先輩は東日本大震災の影響で危機感を強め行動した。彼は東京大学で建築を学び大学院を卒業しプロとして建築に携わっていた。洗練されたデザインや住みやすい設計など実現できるように全力で仕事をしていた。しかし、東日本大震災によって、エネルギーをサステイナブルに活用した生活を実現することが重要度を高めたそうだ。それからサステイナブルデザインを学ぶためにアメリカで学んだ。自然災害が仕事の仕方に大きな影響を与えた。

この3つの例には共通点がある。強い危機感を持つほどの強烈な経験が突発的に発生したことだ。これほど強い危機感を持つのは難しい。でも自ら行動できるほどの危機感を持つまで待つことはできない。できることは2つ。危機感をもう少し高め自ら行動につなげる。誰かに行動できるように背中を押してもらう。

僕が危機感を少し高める時に使うのは、非日常を経験できるようにすること。一番簡単なのは僕の場合、海外に行く、もしくはまったく異なる世界を知るために動画や本を読む。危機感を感じても普通に戻ってしまうのは、僕の場合「安定」があると思う。だからなるべく自分自身でふと考えるきっかけになるためのゆらぎを作る。ひどい環境を見て高まる危機感もあるし、技術を駆使して努力している起業家を見て、自分は遅れていると危機感を感じることもある。なかなか危機感なんて高まらないけど、少しでも自分をドライブかけるきかっけを作るために非日常とふれあうようにしている。

もう一つは誰かに背中を押してもらいやすい環境に自分が飛び込むことだと思う。僕はグロービスで働いていて、危機感は持っているけれど、学ばなきゃいけないことはわかっているけれど、なんだか一歩進められない人がいることを知った。とってもささいなことだけれど、少し背中を押すことができるだけで、人は行動できることも知った。それは友人だったり、先輩、営業マン、セミナー、ネットの記事いろんなものがある。行動したいけどなかなかできない時には自分の考えに肯定してくれそうな仲間に会うなどするだけでも行動を早めることができると思う。

危機感を感じることは自分を奮い立たせるためにとても重要なファクターだ。それを自然に感じることができる人もいるがそれは幸運なこと。危機感があっても行動できないことが普通なんだと思う。なんとか行動して自身を変えるために、ささいなことから工夫することが大切なんだということを学んだ。