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逆カルチャーショック

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海外留学して日本に帰ると逆カルチャーショックがあると聞いていた。正直僕には無縁だと思っていた。だってコテコテの日本人だし、24歳まで日本で生活していたし、日本社会に溶け込んでいたからだ。それでもあった逆カルチャーショック。今回はそれについて書いてみた。

アメリカで学んだクリティカル・シンキング

なぜそうなんだろう?という問を常に問いかけることで無意識に感じることを意識化したり言語化することを徹底的に鍛えられる環境が僕のいた大学だった。政治経済の授業でも平等とはなにか?自由とはなにか?貧困ってなにか?など哲学的なことを問う。それに対して自分なりに考え内容をまとめディスカッションで発言したりエッセイを書く。エッセイでは簡潔に書くがディスカッションでは話を膨らませアイデアを深めることをひたすら行った。僕はもともとそういった事を考えるのが好きだったしプライベートでもそんな話をする機会が多かった。

批判的に物事を一旦とらえ思考することは極めて重要だ。でもそれを声にだすかどうかは話が違うのだと日本に帰ってから学んだ。英語で会話をすると何かを発言した後にほぼ必ずbecauseがつく。どんなしょぼい内容でも理由を常に探しながら会話をすることがとても多かった。当然日本に帰ってからも常にそういった思考が働き続けた。なぜこんなに熱いのにスーツを着るのか?どうしたらそれを改善することができるのか?家族愛ってなんだ?とかいろいろ。

理由を口に出すと理屈っぽい人になる

慣れ親しんだ仲間のいる地元に帰り昔話をしたり色んな話をする。僕は当然いつものように疑問が沢山あがる。なぜそう思うのか?なぜ?なぜ?なぜ?一度問を思い立つのそれについて会話の途中でも考えてしまう。自分なりに考えがまとまるとそれを口に出し話す。するとどうなるか。

ウザがられる。

普通の会話からはじまりアメリカはどうだった?とかこれからどうするの?とか聞かれそれに答えていく中で自分的にここだけは譲れない領域の話題が起きるときがある。そうすると自分が全力で考えたことを共有しようと頑張って伝える。するとどうなる。

ウザがられる。

それだけじゃない。もはやこうなってしまうとすぐイラつかれるので「これいいね!」という発言のあとに「だってさー」と理由をつけ始めると周りの反応はどうなるか。

やっぱり、ウザがられる。

僕は悩んだ。「いったいどうすればいいのだろう」

僕が留学する前にちょっと意地悪で怖いインテリの人は人を理詰めしたり上から目線で話をしている人がいた。そして気づいた。今僕がやっていることは当時ちょっとうざいなーと思ったインテリの人と同じだった。そりゃウザがられる。ただ相手は共感してほしいだけなのに理屈を話してしまっていた。

僕は全力で必死にバークレーの環境に適応しようと努力した結果もっとも大切で自分の強みであったはずの人間力を失いつつあったと気付かされた。相手を思いやり話を聞いて心から共感することができなければ人といい関係なんて作れない。そんなことを地元の友達は教えてくれ帰国しょっぱなの出鼻をボコボコにへし折られ初心に帰る準備をすることができた。

コミュニケーションとは

僕が理解していたコミュ力は伝える力だった。うまく考えを伝えるには無意識を意識化しその情報を構造化してわかりやすく順序だてて伝えていく。時には演繹的で帰納的だったりする。いずれにせよ論理的で理屈っぽい。というか理屈そのものだ。でも本当に必要なのは相手を尊重し理解し共感することで自分の意見を論理的に構造的に伝えるのはごく限られた場面だけでいい。メインアーギュメントだけ言えばよくてそれを証明するトピックセンテンスや例をわざわざ話す必要なんてない。人のメインアーギュメントを聞いてそれに対しおれもそう思うとかそれいいね!とか熱い!とか自分が純粋に思うことだけを言えばいい。余計な理屈を普段の会話で言う必要なんてない。そんな当たり前なことが僕にとっての逆カルチャーショックだった。